朝の光,夕べの雲

キリスト教,聖書の記事

ローマ人への手紙 解説

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使徒パウロが西暦57年から58年ごろ,
 
ローマの教会に宛てた手紙です。
 

 

 
 

(口語訳)

 

 

ローマ1章

 

 互いに励まし合う

 

(ローマ1:11,12口語訳)

「わたしは,

あなたがたに会うことを

熱望している。

あなたがたに霊の賜物を

幾分でも分け与えて,

力づけたいからである。

それは,あなたがたの中にいて,

あなたがたとわたしとの

お互の信仰によって,

共に励まし合うために

ほかならない。」

 

パウロが手紙を書いたのは,

共に励まし合うためでした。

 

信仰には,励ますことと,

励まされることが必要のようです。

 
 
パウロの時代は,イエスを信じる者は,
 
水のバプテスマと同時に,
 
異言の伴う聖霊のバプテスマを
 
受けていました。
 
 
パウロは「霊の賜物」が与えられ,
 
それによって教会で
 
奉仕をしていました。
 

 

  

福音とは

 

 (ローマ1:15-17口語訳)

わたしとしての切なる願いは,

ローマにいるあなたがたにも,

福音を宣べ伝えることなのである。

わたしは福音を恥としない。

それは,ユダヤ人をはじめ,

ギリシヤ人にも,

すべて信じる者に,

救を得させる神の力である。

神の義は,

その福音の中に啓示され,

信仰に始まり信仰に至らせる。

これは,

『信仰による義人は生きる』

と書いてあるとおりである。」

 

「福音」とは,「良い知らせ」です。

 

イエス・キリストの十字架の死によって,

信じる者の罪が赦され,

永遠の命が与えられることです。

 

福音とは,

イエス・キリストが神のみ子であり,

人として生まれ,

死人から復活したという知らせです。

 

「信じる」とは,

イエス・キリストを信じることであり,

福音の真理に同意し,

救い主を信頼することです。

 

「信仰」によって,

神の前にたち,自分が貧しくなり,

自分に死に,

イエス・キリストに生きるようになります。

 

「救い」とは,人を,罪の力,

死の恐怖,永遠の滅びからの

救いです。

 

イエス・キリストを

信じることによって救われます。

 

「義人は信仰によって生きる」は,

旧約聖書の

ハバクク書2:4からの引用です。

 

(ハバクク2:4)

「見よ,その魂の正しくない者は衰える。

しかし義人はその信仰によって生きる。」

 

 

ローマ2章 

 

律法と福音

 

(ローマ2:12,13口語訳)

「そのわけは,

律法なしに罪を犯した者は,

また律法なしに滅び,

律法のもとで罪を犯した者は,

律法によってさばかれる。

なぜなら,律法を聞く者が,

神の前に義なるものではなく,

律法を行う者が,

義とされるからである。」

 

律法を成し遂げることは,

わたしたちにはできません。

 

律法によって義は得られないのです。

 
ここでの律法とは,
 
十戒をはじめとする旧約聖書の
 
神から与えられた戒めです。
 
 
 
 
(ローマ1:17b フランシスコ会訳)
「『正しい人は
信仰によって生きるのである』
(ハバクク2:4)
と記されているとおりです。」
 

 

ローマ3章 

 

信仰による義

 

(ローマ3:21-24口語訳)

「しかし今や,

神の義が,律法とは別に,

しかも律法と預言者とによって

あかしされて,現された。

それは,イエス・キリストを信じる

信仰による神の義であって,

すべて信じる人に

与えられるものである。

そこにはなんらの差別もない。

すなわち,すべての人は

罪を犯したため,

神の栄光を

受けられなくなっており,

彼らは,価なしに,

神の恵みにより,

キリスト・イエスによる

あがないによって

義とされるのである。」

 

 イエス・キリストを信じるだけで,

わたしたちの全ての罪は赦されます。

 

イエス・キリストが

十字架の上で肉を裂き,

血を流してくださったのは,

わたしたちを救うためでした。

 

イエス・キリストを信じるなら,

「もうあなたの内には

一つも悪いところが見つからない。

あなたは正しい人間である」

と神から認めていただけます。

 

このことを知るときに,

私たちは自分がいかに高価で

尊い存在であるかに

気づくことができるのです。

 

神の救いは,

いかに恵み深いことでしょう。

 

この神の愛を味わった人は,

喜びに生きることができます。

 

この神の愛を受け取りましょう。

あなたも,神に愛されています。

 

 

(ローマ3:24 フランシスコ会訳)
 
「キリスト・イエスの
 
あがないの業を通して,
 
神の恵みにより
 
無償で正しい者とされるのです。」
 

 

なだめの供え物 

 

(ローマ3:25 新改訳)
「神は,キリスト・イエスを,
その血による,
また信仰による,
なだめの供え物として,
公にお示しになりました。
それは,ご自身の義を現わすためです。
というのは,今までに犯されて来た罪を
神の忍耐をもって
見のがして来られたからです。
 
 
(ローマ3:26 新改訳)
それは,
今の時にご自身の義を現わすためであり,
こうして神ご自身が義であり,
また,イエスを信じる者を義と
お認めになるためなのです。
 
 

「なだめの供え物」とは,

贖罪所の契約の箱のふたに,

小羊の血が注がれることです。

 

「なだめの供え物」とは,

人々のあらゆる不敬虔と不正とに対して

「神の怒り」を

なだめるためのものでした。

 

イエス・キリストの流され血は,

「なだめの供え物」として

信じる者の罪を赦すためでした。

 

「信仰による」とは,

イエス・キリストの与えてくださる

恵みを受け入れることです。

 

 

なだめの供え物

 

(ローマ3:25 新改訳)
「神は,キリスト・イエスを,
その血による,
また信仰による,
なだめの供え物として,
公にお示しになりました。
それは,ご自身の義を現わすためです。
というのは,今までに犯されて来た罪を
神の忍耐をもって
見のがして来られたからです。」

 

 「なだめの供え物」とは,

「贖罪所のふた」とも訳せます。

 

「贖罪所のふた」とは,

至聖所の中に置かれた

契約の箱の蓋のことです。

 

旧約聖書の時代では,

大祭司が贖罪日に小羊をほふり,

血を契約の蓋に注ぎました。

 

このことによって,

神は民との和解を成しました。

 

イエス・キリストが

「贖罪所の蓋」として,

わたしたちの罪の赦しのために,

ご自身の血を流してくださいました。

 

旧約聖書では,

羊などの動物の血が必要でした。

 

この動物の血は,

イエス・キリストの血(いのち)を

示していました。

 

 

ローマ4章

 

信仰が義と認められる

 

(ローマ4:1-5口語訳)

「それでは,

肉によるわたしたちの

先祖アブラハムの場合については,

なんと言ったらよいか。

もしアブラハムが,

その行いによって

義とされたのであれば,

彼は誇ることができよう。

しかし,

神のみまえでは,できない。

なぜなら,

聖書はなんと言っているか,

『アブラハムは神を信じた。

それによって,

彼は義と認められた』とある。

いったい,働く人に対する報酬は,

恩恵としてではなく,

当然の支払いとして認められる。

しかし,働きはなくても,

不信心な者を

義とするかたを信じる人は,

その信仰が

義と認められるのである。」

 

わたしたちは行いによってではなく,

イエス・キリストを信じることによって,

救われます。

 

罪は赦され,

義とされる-良しとされるのです。

 

それは,旧約聖書のアブラハムが,

神を信じて義と認められたのと同じです。

 

(創世記15:5,6)

「そして主は
彼を外に連れ出して言われた、
『天を仰いで,
星を数えることができるなら,
数えてみなさい』。
また彼に言われた,
『あなたの子孫は
あのようになるでしょう』。
 アブラムは主を信じた。
主はこれを彼の義と認められた。」
 
 

○                                                                                                

 

ローマ5章 

 

神に対する平和

 

(ローマ5:1,2口語訳) 

「このように,わたしたちは,

信仰によって義とされたのだから,

わたしたちの主

イエス・キリストにより,

神に対して平和を得ている。

わたしたちは,さらに彼により,

いま立っているこの恵みに

信仰によって導き入れられ,

そして,神の栄光にあずかる

希望をもって喜んでいる。」

 

 わたしたちは,

イエス・キリストを信じることによって,

義とされます。

 

それは,神の恵みによるものです。

 

そして,神との平安が与えられ,

神の栄光にあずかることができます。

 

 

アダムは,きたるべき者の型

 

(ローマ5:14,15口語訳)

「アダムからモーセまでの間においても,

アダムの違反と同じような

罪を犯さなかった者も,

死の支配を免れなかった。

このアダムは,

きたるべき者の型である。

しかし,恵みの賜物は

罪過の場合とは異なっている。

すなわち,

もしひとりの罪過のために

多くの人が死んだとすれば,

まして,神の恵みと,

ひとりの人イエス・キリストの

恵みによる賜物とは,

さらに豊かに多くの人々に

満ちあふれたはずではないか。」

 

アダムが罪を犯し,

その子孫のわたしたちも

罪の中にあります。

 

イエス・キリストの正しい人生と

十字架の業は,神への従順でした。

 

信じる私たちは恵みと,

義と賜物の中に生きる者とされるのです。

 

イエス・キリストの従順に

よって成し遂げた,神の義は

私たちがイエス・キリストを
 
信じることによって,
 
私たちの義となります。
 
 
 

 

ローマ6章 

 

キリストの復活

 

(ローマ6:4,5口語訳)

「わたしたちは,

その死にあずかる

バプテスマによって,

彼と共に葬られたのである。

それは,

キリストが父の栄光によって,

死人の中から

よみがえらされたように,

わたしたちもまた,

新しいいのちに生きるためである。

もしわたしたちが,

彼に結びついてそ

の死の様にひとしくなるなら,

さらに,彼の復活の様にも

ひとしくなるであろう。」

 

 イエス・キリストが復活したことは,

信じる私たちも新しい命に生きるのです。

 

 

死ぬべき体

 

(ローマ6:12-14口語訳)

「だから,

あなたがたの死ぬべきからだを

罪の支配にゆだねて,

その情欲に従わせることをせず,

また,あなたがたの肢体を

不義の武器として

罪にささげてはならない。

むしろ,

死人の中から生かされた者として,

自分自身を神にささげ,

自分の肢体を義の武器として

神にささげるがよい。

なぜなら,あなたがたは

律法の下にあるのではなく,

恵みの下にあるので,

罪に支配されることは

ないからである。」

 

わたしたちは

イエス・キリストを信じることによって,

新しく生きる者とされました。

 

そして,

神にささげた人生を歩んでいるのです。

 

 

 ローマ7章 

 

なんと惨めな人間なのか

 

(ローマ7:24,25口語訳)

「わたしは,なんという

みじめな人間なのだろう。

だれが,この死のからだから,

わたしを救ってくれるだろうか。

わたしたちの主

イエス・キリストによって,

神は感謝すべきかな。

このようにして,

わたし自身は,

心では神の律法に仕えているが,

肉では罪の律法に

仕えているのである。」

 

イエス・キリストを信じ,

救われたものですが,

古い生まれたままの性質が

出てくることがあります。

 

しかし,感謝することに,

このことにも救いはあるのです。

 

 

 ローマ8章

 

御霊の法則

 

(ローマ8:1,2口語訳)

「こういうわけで,

今やキリスト・イエスにある者は

罪に定められることがない。

なぜなら,

キリスト・イエスにある

いのちの御霊の法則は,

罪と死との法則から

あなたを解放したからである。」 

 

生まれながらの罪の性質は,

信じる者は解放されます。

 

聖霊の働きによるのです。

 

御霊の法則,

すなわち聖霊の働きによって,

罪と死の法則,

すなわち生まれながらの生き方から,

解放して下さるのです。

 

イエス・キリストは,

私たちの罪を赦すだけでなく,

罪から解放して下さるのです。

 

 

8章は「霊の法則」としての

聖霊の働きを宣べています。

 
この手紙の時代では,
 
イエス・キリストを信じると,
 
水のバプテスマを受けました。
 
 
そのとき,
 
ペンテコステの時と同じように,
 
異言を伴う聖霊のバプテスマを
 
受けていました。
 

ですから,

内なる聖霊である,

神を「アバ,父よ」と呼ぶ霊を

内に持っている体験は,

はっきりしたものでした。 

 
 
 
神の子の受肉
 
(ローマ8:3,4)
「律法が肉により
無力になっているために
なし得なかった事を,
神はなし遂げて下さった。
すなわち,御子を,
罪の肉の様で罪のためにつかわし,
肉において罪を罰せられたのである。
これは律法の要求が,
肉によらず霊によって
歩くわたしたちにおいて,
満たされるためである。」 
 
 
イエス・キリストは神の受肉です。
 
人の罪を裁くため,
 
神は独り子の
 
イエス・キリストを裁きました。
 
 
神の子は,
 
人の身代わりとなるため,
 
人と同じ姿を取られました。

 

イエス・キリストは

律法を成し遂げました。

 
その義は,
 
信仰によって
 
わたしたちのものになりました。

 

 

神の御霊が内に宿る

 

(ロ-マ8:9-11)

神の御霊が

あなたがたの内に宿っているなら,

あなたがたは肉におるのではなく,

霊におるのである。

もし,

キリストの霊を持たない人がいるなら,

その人はキリストのものではない。

 もし,

キリストがあなたがたの内に

おられるなら,

からだは罪のゆえに死んでいても,

霊は義のゆえに生きているのである。

 もし,イエスを死人の中から

よみがえらせたかたの御霊が,

あなたがたの内に宿っているなら,

キリスト・イエスを

死人の中からよみがえらせたかたは,

あなたがたの内に

宿っている御霊によって,

あなたがたの死ぬべきからだをも,

生かしてくださるであろう。」

 

イエス・キリストを信じる者は,

聖霊の内にあり,

内に聖霊を宿すのです。

 

 ○

 

「アッバ,父よ」

 聖霊を受け,神の子となる

 

(ローマ8:13-15口語訳) 

「もし,肉に従って生きるなら,

あなたがたは死ぬ外は

ないからである。

しかし,霊によって

からだの働きを殺すなら,

あなたがたは生きるであろう。

すべて神の御霊に

導かれている者は,

すなわち,神の子である。

あなたがたは再び恐れをいだかせる

奴隷の霊を受けたのではなく,

子たる身分を授ける霊を

受けたのである。

その霊によって,

わたしたちは

『アバ,父よ』と呼ぶのである。」

 

 わたしたちは内に聖霊を受けます。

 

すると,わたしたちは神の子とされ,

神に向かって「アバ,父よ」(お父さん)

と叫ぶのです。

 

パウロの生きていた時代は

イエス・キリストを信じると,

水のバプテストを受けました。

 

そのとき,

ペンテコステの時と同じ聖霊が下り,

聖霊のバプテスマを受け,

異言を語りました。

 

 

神の栄光 再臨

 
(ローマ8:18)
「わたしは思う。
今のこの時の苦しみは,
やがてわたしたちに
現されようとする栄光に比べると,
言うに足りない。」

 

イエス・キリストがもう一度来られとき,
 
神の栄光が現れます。

 

そのとき,

被造物全体が贖われなす。

 
わたしたちのからだも、
 
あがなわれるのです。

 

 

からだの贖い

 

(ローマ8:22,23 口語訳)

「実に,被造物全体が,

今に至るまで,

共にうめき共に産みの苦しみを

続けていることを,

わたしたちは知っている。

それだけではなく,

御霊の最初の実を持っている

わたしたち自身も,

心の内でうめきながら,

子たる身分を授けられること,

すなわち,

からだのあがなわれることを

待ち望んでいる。」

 

イエス・キリストは

わたしたちに聖霊を送りました。

 

そして,イエス・キリストが

再び来られるとき,

わたしたちのからだは,

贖われるのです。

 
アダムが罪を犯す前の
 
創造のときのからだに,
 
回復し,完成するのです。
 
 
(1コリント15:42-44 口語訳)
「死人の復活も,
また同様である。
朽ちるものでまかれ,
朽ちないものによみがえり,
卑しいものでまかれ,
栄光あるものによみがえり,
弱いものでまかれ,
強いものによみがえり,
肉のからだでまかれ,
霊のからだによみがえるのである。
肉のからだがあるのだから,
霊のからだもあるわけである。」

 

 

 

万事が益となる

 

(ローマ8:28-30)

「神は,神を愛する者たち,

すなわち,

ご計画に従って

召された者たちと共に働いて,

万事を益となるようにして下さることを,

わたしたちは知っている。

神はあらかじめ知っておられる者たちを,

更に御子のかたちに

似たものとしようとして,

あらかじめ定めて下さった。

それは,御子を多くの兄弟の中で

長子とならせるためであった。

そして,

あらかじめ定めた者たちを更に召し,

召した者たちを更に義とし,

義とした者たちには,

更に栄光を与えて

下さったのである。」

  

 わたしたちは,

イエス・キリストに似る者となることが

人生の目標です。

 

神は「万事を益と」して下さるとは,

イエス・キリストに似た者となるために

働きかけてくださるのです。

 
再臨のとき,
 
イエス・キリストを信じる者は,
 
イエス・キリストに似た者となります。

 

(ローマ8:30 フランシスコ会訳)

「神は,らかじめ定めた者たちを召し出し,

召し出した者たちを正しい者とし,

正しくされた者たちに,

栄光をお与えになっておられるのです。」

 

 

神の右の座  キリストの愛の確かさ

 

(ローマ8:34.35口語訳)

「だれが,

わたしたちを罪に定めるのか。

キリスト・イエスは,死んで,

否,よみがえって,神の右に座し,

また,わたしたちのために

とりなして下さるのである。

だれが,キリストの愛から

わたしたちを離れさせるのか。

患難か,苦悩か,迫害か,

飢えか,裸か,危難か,剣か。」

 

イエス・キリストは,

神の右にいて私たちを

とりなしてくださっています。

 

神の深い愛によって,

神は私たちを罪に定めることから,

また苦難から守ってくださいます。

 

 ○

 

ローマ9章 

 

救いは神の主権

 

(ローマ9:15,16口語訳)

「神はモーセに言われた,

『わたしは

自分のあわれもうとする者をあわれみ,

いつくしもうとする者を,

いつくしむ』。

 ゆえに,それは人間の意志や

努力によるのではなく,

ただ神のあわれみによるのである。

 

 

 9章から11章までは,

ユダヤ人(イスラエルの民)の問題です。

わたしたちにも必要な教えです。

 

 

 ローマ10章 

 

神の義こそ,救いの力

 

(ローマ10:2-4口語訳)

「わたしは,

彼らが神に対して

熱心であることはあかしするが,

その熱心は

深い知識によるものではない。

なぜなら,

彼らは神の義を知らないで,

自分の義を立てようと努め,

神の義に従わなかったからである。

キリストは,

すべて信じる者に

義を得させるために,

律法の終りとなられたのである。」

 

わたしたちは,

自分で義となることはできません。

 

わたしたちは神の義を見出し,

信仰によって受け入れることによって,

義が得られるのです。

 

 

(ローマ10:4 フランシスコ会訳)

「キリストは律法を終わらせました。

それで、信じる者は皆,

正しい者とされるのです。」

 
 

 

ローマ11章 神の慈愛

 

(ローマ11:22口語訳)

「神の慈愛と峻厳とを見よ。

神の峻厳は

倒れた者たちに向けられ,

神の慈愛は,

もしあなたが

その慈愛にとどまっているなら,

あなたに向けられる。

そうでないと,

あなたも切り取られるであろう。」

 

イエス・キリストを信じる者には,

神の慈愛にとどまることが大切です。

 

 ○

 

イスラエルの救い

 

(ローマ11:25,26口語)

「兄弟たちよ。

あなたがたが知者だと

自負することのないために,

この奥義を

知らないでいてもらいたくない。

一部のイスラエル人が

かたくなになったのは,

異邦人が全部救われるに

至る時までのことであって,

こうして,イスラエル人は,

すべて救われるであろう。

すなわち,次のように書いてある,

『救う者がシオンからきて,

ヤコブから

不信心を追い払うであろう。』」

 

イスラエルの民を救うという

神の約束は,

破られることはありません。

 

イスラエル人は

すべて救われるといいます。

 

イスラエル人にリバイバルが起き,

イスラエル人がイエス・キリストを

信じることによって救われると,

私は考えています。

 

 

ローマ12章 

 

霊的な礼拝

 

(ローマ12:1,2口語訳)

「兄弟たちよ。

そういうわけで,

神のあわれみによって

あなたがたに勧める。

あなたがたのからだを,

神に喜ばれる,生きた,

聖なる供え物としてささげなさい。

それが,あなたがたのなすべき

霊的な礼拝である。

あなたがたは,

この世と妥協してはならない。

むしろ,心を新たにすることによって,

造りかえられ,

何が神の御旨であるか,

何が善であって,神に喜ばれ,

かつ全きことであるかを,

わきまえ知るべきである。」

 

 12章からは,救いの実践,

信じた者の生活がのべられています。

 

そして,

このローマ12:1,2には実践の基本が

「霊的な礼拝」であると言っています。

 

イエス・キリストは

供え物として

ご自分を与えてくださいました。

 

私たちも自分のすべてを

ささげて生きていくのです。

 

キリスト者は,

自分を変えていただく

必要があるという

認識を,まず持つことが大切です。

 

世に倣う生活からの,

真剣な方向転換が必要です。

 


(ローマ12:1,2 新共同訳)

「こういうわけで,兄弟たち,

神の憐れみによって

あなたがたに勧めます。

自分の体を神に喜ばれる

聖なる生けるいけにえとして献げなさい。

これこそ,

あなたがたのなすべき礼拝です。

あなたがたは

この世に倣ってはなりません。

むしろ,

心を新たにして自分を変えていただき,

何が神の御心であるか,

何が善いことで,神に喜ばれ,

また完全なことであるかを

わきまえるようになりなさい。」

 

 

 

ローマ13章 

 

支配者への従順

 

 (ローマ13:1)

「人はみな,

上に立つ権威に従うべきです。

神によらない権威はなく,

存在している権威はすべて,

神によって立てられたものです。」

 

 

パウロはここでは,

ローマ帝国のことを考えています。

 

権威は神にあります。

 

そして,

「存在している権威はすべて,

神によって立てられた」

と考えます。

 

ですから,

「人はみな,

上に立つ権威に従うべきです」

と言います。

 

 ☆

 

夜はふけ,

日が近づいているといいます。

 

(ローマ13:11-13口語訳)

 「なお,あなたがたは

時を知っているのだから,

特に,この事を励まねばならない。

すなわち,

あなたがたの眠りから

さめるべき時が,

すでにきている。

なぜなら今は,

わたしたちの救が,

初め信じた時よりも,

もっと近づいているからである。

夜はふけ,日が近づいている。

それだから,わたしたちは,

やみのわざを捨てて,

光の武具を着けようではないか。

そして,宴楽と泥酔,淫乱と好色,

争いとねたみを捨てて,

昼歩くように,

つつましく歩こうではないか。

あなたがたは,

主イエス・キリストを着なさい。

肉の欲を満たすことに

心を向けてはならない。」

 

主の再臨が近づいてます。

 

主イエス・キリストを

着なさいと言います。

 

すなわち,

イエス・キリストを

信じ続けなさいということです。 

 

 

 

ローマ14章 

 

互にさばき合うことをやめよう

 

(ローマ14:13口語訳)

「今後わたしたちは,

互にさばき合うことをやめよう。

むしろ,あなたがたは,

妨げとなる物や,

つまずきとなる物を

兄弟の前に置かないことに,

決めるがよい。」

 

 互いの裁き合うことを

やめよと言います。

 

 

ローマ15章 

 

互いの向上

 

(ローマ15:1,2口語訳) 

「わたしたち強い者は,

強くない者たちの

弱さをになうべきであって,

自分だけを

喜ばせることをしてはならない。

わたしたちひとりびとりは,

隣り人の徳を高めるために,

その益を図って

彼らを喜ばすべきである。」

 

わたしたちの目標は,

自分の徳を高めることです。

 

そして,

つぎに隣人の徳を高めることです。

 

 

ローマ16章 

 

(ローマ16:1,2 口語訳)

「ケンクレヤにある教会の執事,

わたしたちの姉妹フィベを,

あなたがたに紹介する。

どうか,聖徒たるにふさわしく,

主にあって彼女を迎え,

そして,彼女があなたがたに

してもらいたいことがあれば,

何事でも,助けてあげてほしい。

彼女は多くの人の援助者であり,

またわたし自身の援助者でもあった。」

 

パウロはまず,

この手紙を託そうとしている

フィベを紹介しています。

 

フィベは

教会の執事として紹介されています。

 

「彼女があなたがたに

してもらいたいことがあれば,

何事でも,助けてあげてほしい。」

と言います。

 

それは,

私たちが隣人に対する姿勢でもあります。

 

 

 

 
2018.6.2