朝の光,夕べの雲

キリスト教,聖書の記事

コリントの信徒への手紙1(2) 7-16章 解説

 
 
 
 

 

 
 
自由人
 
 
(1コリント7:22,23)
 
「奴隷も,主にあって召された者は,
 
主に属する自由人であり,
 
同じように,自由人も,
 
召された者は
 
キリストに属する奴隷だからです。
 
あなたがたは,
 
代価をもって買われたのです。
 
人間の奴隷となってはいけません。」
 
 
 
この代価と言う言葉は,
 
「身代金」という言葉です。
 
 
ですから,他の訳ですと,
 
「あなたがたは,
 
身代金を払って買い取られたのです。
 
人の奴隷となってはいけません。」
 
となります。
 
 
 
 
 
 
神を愛する人
 
 
(1コリント8:3)
 
「しかし,人が神を愛するなら,
 
その人は神に知られているのです。」
 
 
 
 
 
 
わたしたちは
 
イエス・キリストによって存在しています
 
 
 
(1コリント8:6)
 
「私たちには,
 
父なる唯一の神がおられるだけで,
 
すべてのものはこの神から出ており,
 
私たちもこの神のために
 
存在しているのです。
 
また,唯一の主なるイエス・キリストが
 
おられるだけで,
 
すべてのものはこの主によって存在し,
 
私たちもこの主によって
 
存在するのです。」
 
 
 
父なる神は,唯一の神であり,
 
天地を造られた方です。
 
 
イエス・キリストは父なる神と共に,
 
天地を造られました。
 
 
私たちは,
 
このイエス・キリストにおいて,
 
存在しています。
 
 
 
 
 
 
自由
 
 
(1コリント9:19)
 
「私はだれに対しても自由ですが,
 
より多くの人を獲得するために,
 
すべての人の奴隷となりました。」
 
 
 
(1コリント9:22)
「弱い人々には,弱い者になりました。
弱い人々を獲得するためです。
すべての人に,
すべてのものとなりました。
それは,何とかして,
幾人かでも救うためです。」
 
 
 
 
 
 
試練
 
 
(Ⅰコリント10:13)
 
「あなたがたのあった試練は
 
みな人の知らないようなものでは
 
ありません。
 
神は真実な方ですから,
 
あなたがたを
 
耐えることのできないような
 
試練に会わせるようなことは
 
なさいません。
 
むしろ,耐えることのできるように,
 
試練とともに,
 
脱出の道も備えてくださいます。」
 
 
 
 
 
 
神の栄光をあらわす
 
 
(1コリント10:23,24)
 
「すべてのことは,してもよいのです。
 
しかし,
 
すべてのことが有益とはかぎりません。
 
すべてのことは,してもよいのです。
 
しかし,
 
すべてのことが
 
徳を高めるとはかぎりません。
 
だれでも,自分の利益を求めないで,
 
他人の利益を心がけなさい。」
 
 
 
イエス・キリストを信じる者は,
 
自由にされました。
 
 
その自由は徳をたかめるために,
 
用いるべきです。
 
 
そして,「他人の利益を心がけなさい」
 
と言います。
 
 
まとめて,
 
「神の栄光をあらわすためにしなさい」
 
(10:31)
 
とパウロは言います。
 
 
 
 
 
 
 
神の栄光
 
 
(1コリント10:31)
 
「こういうわけで,
 
あなたがたは,食べるにも,飲むにも,
 
何をするにも,
 
ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」
 
 
 
「栄光」は,神の臨在をあらわしています。
 
 
それは神の恵み,
 
義,あわれみををあらわします。
 
 
イエス・キリスト自身が,
 
神のの栄光です。
 
 
 
(へブル1:3)
「御子は神の栄光の輝きであり,
神の本質の真の姿であって,
その力ある言葉をもって
万物を保っておられる。
そして罪のきよめのわざを
なし終えてから,
いと高き所にいます大能者の右に,
座につかれたのである。」
 
 
私たちには,
 
何事にも神の栄光をあらわすように
 
求められています。
 
 
 
 
 
 
聖餐式 
 
 
(1コリント11:23-29) 
 
「私は主から受けたことを,
 
あなたがたに伝えたのです。
 
すなわち,
 
主イエスは,渡される夜,パンを取り,
 
感謝をささげて後,
 
それを裂き,こう言われました。
 
『これはあなたがたのための,
 
わたしのからだです。
 
わたしを覚えて,これを行いなさい。』
 
夕食の後,
 
杯をも同じようにして言われました。
 
『この杯は,
 
わたしの血による新しい契約です。
 
これを飲むたびに,わたしを覚えて,
 
これを行いなさい。』
 
ですから,あなたがたは,
 
このパンを食べ,
 
この杯を飲むたびに,
 
主が来られるまで,
 
主の死を告げ知らせるのです。」
 
 
 
 
主の晩餐(聖餐式)の制定を書いています。
 
イエスの最後の晩餐を受けたものです。
 
 
 
最後の晩餐
 
(マタイ26:26-29)
「彼らが食事をしているとき,
イエスはパンを取り,
祝福して後,これを裂き,
弟子たちに与えて言われた。
『取って食べなさい。
これはわたしのからだです。』
また杯を取り,感謝をささげて後,
こう言って彼らにお与えになった。
『みな,この杯から飲みなさい。
これは,わたしの契約の血です。
罪を赦すために
多くの人のために流されるものです。
ただ,言っておきます。
わたしの父の御国で,
あなたがたと新しく飲むその日までは,
わたしはもはや,
ぶどうの実で造った物を
飲むことはありません。』
 
 
 
 
 
 
御霊の賜物  
 
 
(1コリント12:8ー10)
 
「ある人には御霊によって
 
知恵のことばが与えられ,
 
ほかの人には同じ御霊にかなう
 
知識のことばが与えられ,
 
またある人には
 
同じ御霊による信仰が与えられ,
 
ある人には同一の御霊によって,
 
いやしの賜物が与えられ,
 
ある人には奇蹟を行なう力,
 
ある人には預言,
 
ある人には霊を見分ける力,
 
ある人には異言,
 
ある人には異言を解き明かす力が
 
与えられています。」
 
 
 
イエス・キリストを信じる者には,
 
愛を中心とした御霊の実が
 
与えられると共に
 
神のために働くために御霊の賜物が
 
与えられています。
 
 
「御霊の賜物」(12:4)とは,
 
信者が教会で奉仕するために
 
必要なものを,
 
神が御霊によって
 
恵みとしてお与えになったものです。
 
 
 
 
 
この手紙が書かれた時代は,
 
水のバプテスマを受けると,
 
異言の伴う聖霊のバプテスマを受けました。
 
 
そして,聖霊に満たされ,聖霊に導かれ,
 
神の臨在を感じていました。
 
 
その人たちには,御霊の実が与えられ,
 
御霊の賜物が与えられました。
 
 
御霊の賜物は,
 
教会での奉仕に用いられました。
 
 
 
 
 
 
さらにまさる道,愛 
 
 
(1コリント12:31b,13:1)
 
「あなたがたは,
 
よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。
 
また私は,
 
さらにまさる道を示してあげましょう。
 
たといわたしが,
 
人々の言葉や御使たちの言葉を語っても,
 
もし愛がなければ,わたしは,
 
やかましい鐘や
 
騒がしい鐃鉢と同じである。」
 
 
 
パウロは12章で,
 
霊の賜物について述べました。
 
 
そして,その賜物を生かす道は,
 
愛です。
 
 
愛は聖霊の実であるといいます。
 
 
(ガラテヤ5:22,23)
「御霊の実は,
愛,喜び,平安,寛容,親切,
善意,誠実, 柔和,自制です。
このようなものを禁ずる律法は
ありません。」
 
 
 
 
 
 
愛 
 
 
(1コリント13:4-8)
 
「愛は寛容であり,愛は親切です。
 
また人をねたみません。
 
愛は自慢せず,高慢になりません。
 
礼儀に反することをせず,
 
自分の利益を求めず,
 
怒らず,人のした悪を思わず,
 
不正を喜ばずに真理を喜びます。
 
すべてをがまんし,すべてを信じ,
 
すべてを期待し,すべてを耐え忍びます。
 
愛は決して絶えることがありません。
 
預言の賜物ならばすたれます。
 
異言ならばやみます。
 
知識ならばすたれます。」
 
 
 
愛はギリシャ語ではアガペーです。
 
 
13章は「愛の章」と呼ばれます。
 
 
ここでは,愛の不滅性を示しています。
 
 
ここでの愛(アガペー)は神の愛です。
 
 
それは,わたしたちが,
 
他者に自分を与える愛です。
 
 
 
 
 
 
いつまでも残るもの
 
 
(1コリント13:13)
 
「こういうわけで,
 
いつまでも残るものは
 
信仰と希望と愛です。
 
その中で一番すぐれているのは愛です。」
 
 
 
 
 
 
御霊の賜物
 
 
(1コリント14:12)
 
「あなたがたの場合も同様です。
 
あなたがたは御霊の賜物を
 
熱心に求めているのですから,
 
教会の徳を高めるために,
 
それが豊かに与えられるよう,
 
熱心に求めなさい。」
 
 
 
コリントの教会は,
 
問題が多かったと同時に,
 
聖霊が働いていたことも分かります。
 
 
パウロは,霊の賜物で教会を
 
作り上げるために求めるように言います。
 
 
 
 
 
 
異言
 
 
(1コリント14:18,19)
 
 
「わたしは,
 
あなたがたのうちのだれよりも
 
多く異言が語れることを,
 
神に感謝する。 
 
しかし教会では,
 
一万の言葉を異言で語るよりも,
 
ほかの人たちをも教えるために,
 
むしろ五つの言葉を知性によって
 
語る方が願わしい。」
 
 
 
パウロは,
 
異言を伴う聖霊のバプテスマを
 
受けていました。
 
 
しかし,
 
教会では異言を語ることに慎重でした。
 
 
 
 
 
 
預言の賜物
 
 
(1コリント14:24,25)
 
「もしみなが預言をするなら,
 
信者でない者や初心の者が
 
入って来たとき,
 
その人はみなの者によって
 
罪を示されます。
 
みなにさばかれ,
 
心の秘密があらわにされます。
 
そうして,神が確かにあなたがたの中に
 
おられると言って,
 
ひれ伏して神を拝むでしょう。」
 
 
 
 
 
 
最もたいせつなこと
 
 
(1コリント15:3-5)
 
「私があなたがたに
 
最もたいせつなこととして伝えたのは,
 
私も受けたことであって,次のことです。
 
キリストは,聖書の示すとおりに,
 
私たちの罪のために死なれたこと,
 
また,葬られたこと,
 
また,聖書の示すとおりに,
 
三日目によみがえられたこと,
 
また,ケパに現れ,
 
それから十二弟子に現れたことです。
 
その後,キリストは五百人以上の
 
兄弟たちに同時に現れました。
 
その中の大多数の者は
 
今なお生き残っていますが,
 
すでに眠った者もいくらかいます。」
 
 
 
ここでの福音(15:1)とは,
 
イエス・キリストが,
 
十字架にかかり復活したことにより,
 
罪と死に打ち勝ったことです。
 
 
このパウロが
 
最も大切なこととして伝えたことは,
 
聖書の中の最も大切なことであり,
 
わたしたちの信仰の
 
最も大切なことでもあります。
 
 
イエス・キリスト次のように
 
弟子に話していたことは,
 
そのまま実現しました。
 
 
(マタイ16:21)
「その時から,イエス・キリストは,
ご自分がエルサレムに行って,
長老,祭司長,律法学者たちから
多くの苦しみを受け,
殺され,そして三日目に
よみがえらなければならないことを
弟子たちに示し始められた。」
 
 
 
 
 
 
キリストの復活
 
 
(1コリント15:17)
 
「そして,もしキリストが
 
よみがえらなかったのなら,
 
あなたがたの信仰はむなしく,
 
あなたがたは今もなお,
 
自分の罪の中にいるのです。」
 
 
 
「キリストのよみがえり」,
 
キリストは十字架の上で死んだが,
 
3日目に復活した。
 
 
復活の体は,
 
十字架につけられた同じ体であったが,
 
朽ちることのない栄光ある体でした。
 
 
この復活は,
 
キリストが神の子であることを証明し,
 
義とされることの保障です。
 
(ローマ1:4)
 
 
イエス・キリストの復活は,
 
イエス・キリストを信じる者の
 
罪の赦しと義認の保証となりました。
 
(ローマ1:17)
 
 
 
 
 
 
再臨のときの復活
 
 
(1コリント15:20-23)
 
「しかし,今やキリストは,
 
眠った者の初穂として
 
死者の中からよみがえられました。
 
というのは,
 
死がひとりの人を通して来たように,
 
死者の復活もひとりの人を通して
 
来たからです。
 
すなわち,アダムにあって
 
すべての人が死んでいるように,
 
キリストによって
 
すべての人が生かされるからです。
 
しかし,おのおのにその順番があります。
 
まず初穂であるキリスト,
 
次にキリストの再臨のとき
 
キリストに属している者です。」
 
 
 
キリストは復活の第一のものです。
 
古い人は,アダムの内にあり,死にます。
 
 
イエスを信じる人は,
 
キリストの内にあり生きます。
 
 
信じる者が受ける,
 
終末の復活の希望となります。
 
 
イエス・キリストの復活は,
 
信じる者の将来の復活の
 
保証でもあります。
 
 
 
 
 
 
復活のからだ
 
 
(1コリント15:41,42)
 
「太陽の栄光もあり,
 
月の栄光もあり,
 
星の栄光もあります。
 
個々の星によって栄光が違います。
 
死者の復活もこれと同じです。
 
朽ちるもので蒔かれ,
 
朽ちないものによみがえらされ,」
 
 
 
(1コリント15:47-49)
 
「第一の人は地から出て,
 
土で造られた者ですが,
 
第二の人は天から出た者です。
 
土で造られた者はみな,
 
この土で造られた者に似ており,
 
天からの者はみな,
 
この天から出た者に似ているのです。
 
私たちは土で造られた者の
 
かたちを持っていたように,
 
天上のかたちをも持つのです。」
 
 
 
 
 
 
復活の体
 
 
(Ⅰコリント15:49)
 
「私たちは土で造られた者の
 
かたちを持っていたように,
 
天上のかたちをも持つのです。」
 
 
 
わたしたちは,
 
イエス・キリストがもう一度来られる時,
 
新しい体を受け取ります。
 
 
その体は「天上のかたち」だといいます。
 
 
 
「死は勝利にのまれました」
 
(1コリント15:54)
 
「朽ちるものが朽ちないものを着,
 
死ぬものが不死を着るとき,
 
『死は勝利にのまれた』
 
としるされている,
 
みことばが実現します。」
 
 
 
 
死の解決は,
 
イエス・キリストを信じたときです。
 
 
わたしたちのからだの
 
完全な救いは,
 
再臨のときです。
 
 
再臨の時に,
 
わたしたちが変えられることにより
 
与えられます。
 
 
賛美歌に,この言葉にふさわしい歌詞があります。
 
 
「球根の中には」(讃美歌21 575)
 
1 
球根の中には 花が秘められ,
さなぎの中から いのちはばたく。
寒い冬の中 春はめざめる。
その日,その時を ただ神が知る。
 
 
2 
沈黙はやがて 歌に変えられ,
深い闇の中 夜明け近づく。
過ぎ去った時が 未来を拓く。
その日,その時を ただ神が知る。
 
3 
いのちの終わりは いのちの始め。
おそれは信仰に,死は復活に,
ついに変えられる 永遠の朝。
その日,その時を ただ神が知る。
 
 
 
 
 
 
結びのことば
 
 
(1コリント16:13,14)
 
「目を覚ましていなさい。
 
堅く信仰に立ちなさい。
 
男らしく,強くありなさい。
 
いっさいのことを
 
愛をもって行いなさい。」
 
 
 
パウロの最後のメッセージは,
 
信仰と愛と言えるでしょう。
 
 
 
 
 
 
マラナ・タ(主よ,来てください)
 
 
(1コリント16:22-24)
 
「主を愛さない者は,
 
神から見捨てられるがいい。
 
マラナ・タ(主よ,来てください)。
 
主イエスの恵みが,
 
あなたがたと共にあるように。
 
わたしの愛が,
 
キリスト・イエスにおいて
 
あなたがた一同と共にあるように。」
 
 
 
2019-06-27