ローマ4章
信仰が義と認められる
(ローマ4:1-5口語訳)
「それでは,
肉によるわたしたちの
先祖アブラハムの場合については,
なんと言ったらよいか。
もしアブラハムが,
その行いによって
義とされたのであれば,
彼は誇ることができよう。
しかし,
神のみまえでは,できない。
なぜなら,
聖書はなんと言っているか,
『アブラハムは神を信じた。
それによって,
彼は義と認められた』とある。
いったい,働く人に対する報酬は,
恩恵としてではなく,
当然の支払いとして認められる。
しかし,働きはなくても,
不信心な者を
義とするかたを信じる人は,
その信仰が
義と認められるのである。」
わたしたちは行いによってではなく,
イエス・キリストを信じることによって,
救われます。
罪は赦され,
義とされる-良しとされるのです。
それは,旧約聖書のアブラハムが,
神を信じて「義と認められた」のと同じです。
(創世記15:5,6)
「そして主は
彼を外に連れ出して言われた,
『天を仰いで,
星を数えることができるなら,
数えてみなさい』。
また彼に言われた,
『あなたの子孫は
あのようになるでしょう』。
アブラムは主を信じた。
アブラムは主を信じた。
主はこれを彼の義と認められた。」
○
アブラハムの信仰
(ロマ4:20,21口語訳)
「彼は,
神の約束を不信仰のゆえに
疑うようなことはせず,
かえって信仰によって強められ,
栄光を神に帰し,
神はその約束されたことを,
また成就することができると確信した。」
アブラハムの信仰です。
信仰によって,神に栄光をきせます。
○
イエス・キリストの復活
(ローマ4:25)
「主は,
わたしたちの罪過のために死に渡され,
わたしたちが義とされるために,
よみがえらされたのである。」
イエス・キリストの復活は,
信じる者の罪が赦され,
義とされることを保証しました。
○
空の墓・イエスの復活
(ヨハネ20:1-10)
「さて,一週の初めの日に,
朝早くまだ暗いうちに,
マグダラのマリヤが墓に行くと,
墓から石がとりのけてあるのを見た。
そこで走って,
シモン・ペテロと
イエスが愛しておられた,
もうひとりの弟子のところへ行って,
彼らに言った,
『だれかが,主を墓から取り去りました。
どこへ置いたのか,わかりません』。
そこでペテロともうひとりの弟子は
出かけて,
墓へむかって行った。
ふたりは一緒に走り出したが,
そのもうひとりの弟子の方が,
ペテロよりも早く走って先に墓に着き,
そして身をかがめてみると,
亜麻布がそこに置いてあるのを見たが,
中へははいらなかった。
シモン・ペテロも続いてきて,
墓の中にはいった。
彼は亜麻布が
そこに置いてあるのを見たが,
イエスの頭に巻いてあった布は
亜麻布のそばにはなくて,
はなれた別の場所にくるめてあった。
すると,先に墓に着いた
もうひとりの弟子もはいってきて,
これを見て信じた。
しかし,彼らは死人のうちから
イエスがよみがえるべきことを
しるした聖句を,
まだ悟っていなかった。
それから,ふたりの弟子たちは
自分の家に帰って行った。」
○
ローマ5章
神に対する平和
(ローマ5:1,2口語訳)
「このように,わたしたちは,
信仰によって義とされたのだから,
わたしたちの主
イエス・キリストにより,
神に対して平和を得ている。
わたしたちは,さらに彼により,
いま立っているこの恵みに
信仰によって導き入れられ,
そして,神の栄光にあずかる
希望をもって喜んでいる。」
わたしたちは,
イエス・キリストを信じることによって,
義とされます。
それは,神の恵みによるものです。
そして,神との平安が与えられ,
この信仰によって,わたしたちは,
「神の栄光」にあずかることができます。
○
希望
(ローマ5:5)
「そして,希望は失望に終ることはない。
なぜなら,
わたしたちに賜わっている聖霊によって,
神の愛がわたしたちの心に
注がれているからである。」
※
聖霊によって愛が与えられます。
この愛は,
わたしたちに希望を与えてくださいます。
その希望は
神の栄光を与えてくださいます。
この愛は,
イエスのカルバリーで
十字架につけられた愛です。
(ローマ5:8-10,8:37-39)
(ローマ5:1-5)
「このように,わたしたちは,
信仰によって義とされたのだから,
わたしたちの主イエス・キリストにより,
神に対して平和を得ている。
わたしたちは,さらに彼により,
いま立っているこの恵みに
信仰によって導き入れられ,
そして,神の栄光にあずかる
希望をもって喜んでいる。
それだけではなく,
患難をも喜んでいる。
なぜなら,
患難は忍耐を生み出し,
忍耐は錬達を生み出し,
錬達は希望を生み出すことを,
知っているからである。
そして,希望は失望に終ることはない。
なぜなら,わたしたちに
賜わっている聖霊によって,
神の愛がわたしたちの心に
注がれているからである。」
○
アダムは,きたるべき者の型
(ローマ5:14,15口語訳)
「アダムからモーセまでの間においても,
アダムの違反と同じような
罪を犯さなかった者も,
死の支配を免れなかった。
このアダムは,
きたるべき者の型である。
しかし,恵みの賜物は
罪過の場合とは異なっている。
すなわち,
もしひとりの罪過のために
多くの人が死んだとすれば,
まして,神の恵みと,
ひとりの人イエス・キリストの
恵みによる賜物とは,
さらに豊かに多くの人々に
満ちあふれたはずではないか。」
アダムが罪を犯し,
その子孫のわたしたちも
罪の中にあります。
イエス・キリストの正しい人生と
十字架の業は,神への従順でした。
信じる私たちは恵みと,
義と賜物の中に
生きる者とされるのです。
イエス・キリストの従順によって
成し遂げた,
神の義は私たちが
イエス・キリストを信じることによって,
私たちの義となります。
○
従順
(ローマ5:19-21)
「ひとりの人の不従順によって,
多くの人が罪人とされたと同じように,
ひとりの従順によって,
多くの人が義人とされるのである。
律法がはいり込んできたのは,
罪過の増し加わるためである。
しかし,罪の増し加わったところには,
恵みもますます満ちあふれた。
それは,
罪が死によって支配するに至ったように,
恵みもまた義によって支配し,
わたしたちの主イエス・キリストにより,
永遠のいのちを得させるためである。」
イエスの生涯は神への従順でした。
(ヨハネ5:19-21)
「さて,イエスは彼らに答えて言われた,
「よくよくあなたがたに言っておく。
子は父のなさることを見てする以外に,
自分からは何事もすることができない。
父のなさることであればすべて,
子もそのとおりにするのである。
なぜなら,
父は子を愛して,みずからなさることは,
すべて子にお示しになるからである。
そして,それよりもなお大きなわざを,
お示しになるであろう。
あなたがたが,
それによって不思議に思うためである。
すなわち,
父が死人を起して命を
お与えになるように,
子もまた,
そのこころにかなう人々に
命を与えるであろう。」
イエスは罪を犯しませんでしたが,
罪人と同じ姿をとられます。
○
ローマ6章
キリストの復活
(ローマ6:4,5口語訳)
「わたしたちは,
その死にあずかる
バプテスマによって,
彼と共に葬られたのである。
それは,
キリストが父の栄光によって,
死人の中から
よみがえらされたように,
わたしたちもまた,
新しいいのちに生きるためである。
もしわたしたちが,
彼に結びついてそ
の死の様にひとしくなるなら,
さらに,彼の復活の様にも
ひとしくなるであろう。」
イエス・キリストの復活は、
「神の栄光」によるものでした。
キリストの栄光は
イエス・キリストが復活したことは,
信じる私たちも新しい命
(復活の命)に,今生きるのです。
(ヨハネ20:19-21)
「その日,
すなわち,一週の初めの日の夕方,
弟子たちはユダヤ人をおそれて,
自分たちのおる所の戸を
みなしめていると,
イエスがはいってきて,彼らの中に立ち,
「安かれ」と言われた。
そう言って,手とわきとを,
彼らにお見せになった。
弟子たちは主を見て喜んだ。
イエスはまた彼らに言われた,
『安かれ。
父がわたしをおつかわしになったように,
わたしもまたあなたがたをつかわす』」。
○
死ぬべき体
(ローマ6:12-14口語訳)
「だから,
あなたがたの死ぬべきからだを
罪の支配にゆだねて,
その情欲に従わせることをせず,
また,あなたがたの肢体を
不義の武器として
罪にささげてはならない。
むしろ,
死人の中から生かされた者として,
自分自身を神にささげ,
自分の肢体を義の武器として
神にささげるがよい。
なぜなら,あなたがたは
律法の下にあるのではなく,
恵みの下にあるので,
罪に支配されることは
ないからである。」
わたしたちは
イエス・キリストを信じることによって,
新しく生きる者とされました。
そして,
神にささげた人生を歩んでいるのです。
○
永遠のいのち
(ローマ6:23)
「罪の支払う報酬は死である。
しかし神の賜物は,
わたしたちの主キリスト・イエスにおける
永遠のいのちである。」
イエスはつぎのように言います。
(ヨハネ6:35-40)
イエスは彼らに言われた,
「わたしが命のパンである。
わたしに来る者は
決して飢えることがなく,
わたしを信じる者は
決してかわくことがない。
しかし,あなたがたに言ったが,
あなたがたは
わたしを見たのに信じようとはしない。
父がわたしに与えて下さる者は皆,
わたしに来るであろう。
そして,わたしに来る者を
決して拒みはしない。
わたしが天から下ってきたのは,
自分のこころのままを行うためではなく,
わたしをつかわされたかたの
みこころを行うためである。
わたしをつかわされたかたのみこころは,
わたしに与えて下さった者を,
わたしがひとりも失わずに,
終りの日によみがえらせることである。
わたしの父のみこころは,
子を見て信じる者が,
ことごとく永遠の命を
得ることなのである。
そして,わたしはその人々を
終りの日によみがえらせるであろう」。
○
ローマ7章
新しい霊によって生きる
(ローマ7:6 口語訳)
「しかし今は,
わたしたちをつないでいたものに
対して死んだので,
わたしたちは律法から解放され,
その結果,古い文字によってではなく,
新しい霊によって仕えているのである。」
イエス・キリストを信じる者は、
古い文字(モーセの律法)から解放され,
新しい霊(聖霊)に仕えます。
※
聖霊によって,新しい生き方ができます。
○
なんと惨めな人間なのか
(ローマ7:24,25口語訳)
「わたしは,なんという
みじめな人間なのだろう。
だれが,この死のからだから,
わたしを救ってくれるだろうか。
わたしたちの主
イエス・キリストによって,
神は感謝すべきかな。
このようにして,
わたし自身は,
心では神の律法に仕えているが,
肉では罪の律法に
仕えているのである。」
イエス・キリストを信じ,
救われたものですが,
古い生まれたままの性質が
出てくることがあります。
しかし,感謝することに,
このことにも救いはあるのです。
次の章(8章)で宣べています。
○
ローマ8章
いのちの御霊の法則
(ローマ8:1,2口語訳)
「こういうわけで,
今やキリスト・イエスにある者は
罪に定められることがない。
なぜなら,
キリスト・イエスにある
いのちの御霊の法則は,
罪と死との法則から
あなたを解放したからである。」
※
生まれながらの罪の性質は,
信じる者は解放されます。
聖霊の働きによるのです。
御霊の法則,
すなわち聖霊の働きによって,
罪と死の法則,
すなわち生まれながらの生き方から,
解放して下さるのです。
イエス・キリストは,
私たちの罪を赦すだけでなく,
罪から解放して下さるのです。
(ヨハネ14:15-17)
「もしあなたがたが
わたしを愛するならば,
わたしのいましめを守るべきである。
わたしは父にお願いしよう。
そうすれば,
父は別に助け主を送って,
いつまでもあなたがたと
共におらせて下さるであろう。
それは真理の御霊である。
この世はそれを見ようともせず,
知ろうともしないので,
それを受けることができない。
あなたがたはそれを知っている。
なぜなら,それはあなたがたと共におり,
またあなたがたのうちに
いるからである。」
☆
8章は「霊の法則」として
聖霊の働きを宣べています。
この手紙の時代では,
イエス・キリストを信じると,
水のバプテスマを受けました。
そのとき,
ペンテコステの時と同じように,
異言を伴う聖霊の
バプテスマを受けていました。
ですから,内なる聖霊,
神を「アバ,父よ」と呼ぶ霊を
内に持っている体験は,
はっきりしたものでした。
○
神の子の受肉
(ローマ8:3,4)
「律法が肉により
無力になっているために
なし得なかった事を,
神はなし遂げて下さった。
すなわち,御子を,
罪の肉の様で罪のためにつかわし,
肉において罪を罰せられたのである。
これは律法の要求が,
肉によらず霊によって
歩くわたしたちにおいて,
満たされるためである。」
イエス・キリストは神の受肉です。
神の子は,
人の身代わりとなるため,
人と同じ姿を取られました。
神は人の罪を裁くため,
神は独り子のイエス・キリストを
裁きました。
また,イエス・キリストは
律法を成し遂げました。
その義は,信仰によって
わたしたちのものになりました。
○
神の御霊が内に宿る
(ロ-マ8:9-11)
「神の御霊が
あなたがたの内に宿っているなら,
あなたがたは肉におるのではなく,
霊におるのである。
もし,
キリストの霊を持たない人がいるなら,
その人はキリストのものではない。
もし,
キリストがあなたがたの内に
おられるなら,
からだは罪のゆえに死んでいても,
霊は義のゆえに生きているのである。
もし,イエスを死人の中から
よみがえらせたかたの御霊が,
あなたがたの内に宿っているなら,
キリスト・イエスを
死人の中からよみがえらせたかたは,
あなたがたの内に
宿っている御霊によって,
あなたがたの死ぬべきからだをも,
生かしてくださるであろう。」
イエス・キリストを信じる者は,
聖霊の内にあり,
内に聖霊を宿すのです。
主が再臨するとき,
信じる者のからだは,
生き返ります。
○
「アッバ,父よ」
聖霊を受け,神の子となる
(ローマ8:13-15口語訳)
「もし,肉に従って生きるなら,
あなたがたは死ぬ外は
ないからである。
しかし,霊によって
からだの働きを殺すなら,
あなたがたは生きるであろう。
すべて神の御霊に
導かれている者は,
すなわち,神の子である。
あなたがたは再び恐れをいだかせる
奴隷の霊を受けたのではなく,
子たる身分を授ける霊を
受けたのである。
その霊によって,
わたしたちは
『アバ,父よ』と呼ぶのである。」
わたしたちは,
内に聖霊を受けます。
すると,わたしたちは神の子とされ,
神に向かって「アバ,父よ」(お父さん)
と叫ぶのです。
パウロの生きていた時代は
イエス・キリストを信じると,
水のバプテストを受けました。
そのとき,
ペンテコステの時と同じ聖霊が下り,
聖霊のバプテスマを受け,
異言を語りました。
○
神の相続人
(ローマ8:16,17)
「御霊みずから,
わたしたちの霊と共に,
わたしたちが
神の子であることをあかしして下さる。
もし子であれば,相続人でもある。
神の相続人であって,
キリストと栄光を共にするために
苦難をも共にしている以上,
キリストと共同の相続人なのである。」
聖霊は,
わたしたちが神の相続人であることを
保証します。
わたしたちが神の相続人として、
「神の栄光」を相続します。
○
神の栄光 再臨
(ローマ8:18)
「わたしは思う。
今のこの時の苦しみは,
やがてわたしたちに
現されようとする栄光に比べると,
言うに足りない。」
イエス・キリストがもう一度来られとき,
「神の栄光」が現れます。
そのとき,被造物全体が贖われます。
わたしたちのからだも,
あがなわれるのです。
(ヨハネ17:1-5)
「これらのことを語り終えると,
イエスは天を見あげて言われた,
『父よ,時がきました。
あなたの子が
あなたの栄光をあらわすように,
子の栄光をあらわして下さい。
あなたは,子に賜わったすべての者に,
永遠の命を授けさせるため,
万民を支配する権威を
子にお与えになったのですから。
永遠の命とは,唯一の,
まことの神でいますあなたと,
また,あなたがつかわされた
イエス・キリストとを
知ることであります。
わたしは,わたしにさせるために
お授けになったわざをなし遂げて,
地上であなたの栄光をあらわしました。
父よ,世が造られる前に,
わたしがみそばで持っていた栄光で,
今み前にわたしを輝かせて下さい。」
○
被造物の解放
(ロマ8;21口語訳)
「かつ,被造物自身にも,
滅びのなわめから解放されて,
神の子たちの栄光の自由に入る望みが
残されているからである。」
被造物の解放(回復)は,
「栄光」の現われです。
○
からだの贖い
(ローマ8:22,23 口語訳)
「実に,被造物全体が,
今に至るまで,
共にうめき共に産みの苦しみを
続けていることを,
わたしたちは知っている。
それだけではなく,
御霊の最初の実を持っている
わたしたち自身も,
心の内でうめきながら,
子たる身分を授けられること,
すなわち,
からだのあがなわれることを
待ち望んでいる。」
イエス・キリストは
わたしたちに聖霊を下しました。
そして,イエス・キリストが
再び来られるとき,
わたしたちのからだは,
贖われるのです。
アダムが罪を犯す前の
創造のときのからだに,
回復し,完成するのです。
(1コリント15:42-44 口語訳)
「死人の復活も,
また同様である。
朽ちるものでまかれ,
朽ちないものによみがえり,
卑しいものでまかれ,
卑しいものでまかれ,
栄光あるものによみがえり,
弱いものでまかれ,
強いものによみがえり,
肉のからだでまかれ,
肉のからだでまかれ,
霊のからだによみがえるのである。
肉のからだがあるのだから,
霊のからだもあるわけである。」
○
御霊による祈り
(ローマ8:26,27)
「御霊もまた同じように,
弱いわたしたちを助けて下さる。
なぜなら,わたしたちは
どう祈ったらよいかわからないが,
御霊みずから,
言葉にあらわせない
切なるうめきをもって,
わたしたちのために
とりなして下さるからである。
そして,人の心を探り知るかたは,
御霊の思うところがなんであるかを
知っておられる。
なぜなら,御霊は,聖徒のために,
神の御旨にかなうとりなしを
して下さるからである。」
御霊はわたしたちを助けてくださいます。
御霊はわたしたちのために,
とりなしの祈りをしてくださいます。
○
万事が益となる
(ローマ8:28-30)
「神は,神を愛する者たち,
すなわち,
ご計画に従って
召された者たちと共に働いて,
万事を益となるようにして下さることを,
わたしたちは知っている。
神はあらかじめ知っておられる者たちを,
更に御子のかたちに
似たものとしようとして,
あらかじめ定めて下さった。
それは,御子を多くの兄弟の中で
長子とならせるためであった。
そして,
あらかじめ定めた者たちを更に召し,
召した者たちを更に義とし,
義とした者たちには,
更に栄光を与えて
下さったのである。」
わたしたちは,
イエス・キリストに似る者となることが
人生の目標です。
神は「万事を益と」して下さるとは,
イエス・キリストに似た者となるために
働きかけてくださるのです。
再臨のとき,
イエス・キリストを信じる者は,
イエス・キリストに似た者となります。
そして,
「神の栄光」を与えてくださいます。
(ローマ8:30 フランシスコ会訳)
「神は,らかじめ定めた者たちを召し出し,
召し出した者たちを正しい者とし,
正しくされた者たちに,
栄光をお与えになっておられるのです。」
○
神の右の座 キリストの愛の確かさ
(ローマ8:34.35口語訳)
「だれが,
わたしたちを罪に定めるのか。
キリスト・イエスは,死んで,
否,よみがえって,神の右に座し,
また,わたしたちのために
とりなして下さるのである。
だれが,キリストの愛から
わたしたちを離れさせるのか。
患難か,苦悩か,迫害か,
飢えか,裸か,危難か,剣か。」
イエス・キリストは,
神の右にいて私たちを
とりなしてくださっています。
神の深い愛によって,
神は私たちを罪に定めることから,
また苦難から守ってくださいます。
○
神の愛
(ローマ8:38,39)
「私はこう確信しています。
死も,いのちも,御使いも,
権威ある者も,今あるものも,
後に来るものも,力ある者も,
高さも,深さも,
そのほかのどんな被造物も,
私たちの主キリスト・イエスにある
神の愛から,
私たちを引き離すことはできません。」
神の愛は,
わたしたちから離れることはありません。
イエス・キリストを信じる者は,
イエス・キリストと
一つとなっているからです。
(ヨハネ15:5前 口語訳)
「わたしはぶどうの木,
あなたがたはその枝である。」
2019-12-16