(新改訳)
主を誇れ
「まさしく,
『誇る者は主を誇れ』と
書いてあるとおりになるためです。」
神は無に等しい者を選びました。
神の栄光を現すためでした。
☆彡
「兄弟たち,
あなたがたの召しのことを
考えてごらんなさい。
この世の知者は多くはなく,
権力者も多くはなく,
身分の高い者も多くはありません。
しかし神は,
知恵ある者をはずかしめるために,
この世の愚かな者を選び,
強い者をはずかしめるために,
この世の弱い者を選ばれたのです。
また,
この世の取るに足りない者や
見下されている者を,
神は選ばれました。
すなわち,
有るものをない者のようにするため,
無に等しいものを選ばれたのです。
これは,
神の御前でだれをも誇らせないためです。
しかしあなたがたは,
神によって
キリスト・イエスのうちにあるのです。
キリストは,私たちにとって,
神の知恵となり,
また,義と聖めと,贖いとになられました。
まさしく,『誇る者は主を誇れ』と
書いてあるとおりになるためです。」
光の子どもらしく歩みなさい
「あなたがたは,
以前は暗やみでしたが,
今は,主にあって,
光となりました。
光の子どもらしく歩みなさい。」
「暗やみ」とは,
神に逆らう,罪の世界です。
「神は光である」と言います。
「神は光であって,
神のうちには暗いところが少しもない。
これが,私たちがキリストから聞いて,
あなたがたに伝える知らせです。」
「もし,
私たちが自分の罪を言い表すなら,
神は真実で正しい方ですから,
その罪を赦し,
すべての悪から
私たちをきよめてくださいます。」
アブラハムの子孫
(へブル2:16)
「主は御使いたちを助けるのではなく,
確かに,
アブラハムの子孫を
助けてくださるのです。」
旧約聖書では,
神はアブラハムの子孫を
助けると言いました。
(創世記12:7)
「主がアブラムに現れ,
そして『あなたの子孫に,
わたしはこの地を与える』
と仰せられた。」
わたしたちは,
イエス・キリストを信じることによって,
アブラハムに子孫となります。
そして,神の子となっているのです。
「あなたがたはみな,
キリスト・イエスに対する信仰によって,
神の子どもです。」
神のことば
「神のことばは生きていて,
力があり,
両刃の剣よりも鋭く,
たましいと霊,
関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し,
心のいろいろな考えや
はかりごとを判別することができます。」
「神の言葉」とは,
イエス・キリスト御自身です。
ですから,神の言葉は生きているのです。
(ヨハネ1:1)
「初めに,ことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。」
神は唯一です
「神は唯一です。
また,
神と人との間の仲介者も唯一であって,
それは人としてのキリスト・イエスです。」
わたしたちは,
イエス・キリストを通してでなければ,
神のところに行けません。
イエスによらなければ,救いは無いのです。
「イエスは彼に言われた。
『わたしが道であり,
真理であり,いのちなのです。
わたしを通してでなければ,
だれひとり父のみもとに
来ることはありません。』」
☆彡
「神は唯一です。
また,
神と人との間の仲介者も唯一であって,
それは人としてのキリスト・イエスです。
キリストは,
すべての人の贖いの代価として,
ご自身をお与えになりました。
これが時至ってなされたあかしなのです。」
神の聖め
「神が造られた物はみな良い物で,
感謝して受けるとき,
捨てるべき物は何一つありません。
神のことばと祈りとによって,
聖められるからです。」
神は万物を良いものとして,
造られました。
アダムとイブの罪によって,
神の造られた者は
汚れたものとなりましたが,
イエス・キリストが
回復して下さいました。
私たちが神の言葉を信じるなら,
祈りによって
わたしたち自身とすべてが
聖くなるのです。
信仰,愛,望み
「私たちは昼の者なので,
信仰と愛を胸当てとして着け,
救いの望みをかぶととしてかぶって,
慎み深くしていましょう。」
私たちは,信仰,愛,望みを持ち,
慎んでいるようにといわれます。
これらは,
聖霊によって
与えられるものでもあるのです。
寛容でありなさい
「兄弟たち。
あなたがたに勧告します。
気ままな者を戒め,
小心な者を励まし,
弱い者を助け,
すべての人に対して寛容でありなさい。」
わたしたちは,気ままであり,
小心であり,弱い者でした。
ですから,私たちは,
すべての人に寛容であるべきなのです。
キリストの日の誇り
「いのちのことばをしっかり握って,
彼らの間で世の光として輝くためです。
そうすれば,私は,
自分の努力したことがむだではなく,
苦労したこともむだでなかったことを,
キリストの日に誇ることができます。」
イエス・キリストにあって
努力したことは,
キリストの日,
すなわち審判の時に,
無駄でなかったことがわかります。
天では,報いがあるからです。
わたしたちが神に忠実であるなら,
キリストの日に褒められます。
(2コリント5:10)
「私たちはみな,
キリストのさばきの座に現れて,
善であれ悪であれ,
各自その肉体にあってした行為に応じて
報いを受けることになるからです。」
御子の支配
「神は,
私たちを暗やみの圧制から救い出して,
愛する御子のご支配の中に
移してくださいました。」
わたしたちが,
暗やみから救い出して下さるためには,
イエス・キリストが贖いの代価として,
十字架で血を流してくださいました。
「その十字架の血によって平和をつくり,
御子によって万物を,
御子のために
和解させてくださったからです。
地にあるものも天にあるものも,
ただ御子によって
和解させてくださったのです。」
Minae
2016.12.17
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