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キリスト教,聖書の記事

ガラテヤ人への手紙 3章 解説

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御霊を受ける
 
 
(ガラテヤ3:2-5)
 
「わたしは、ただこの一つの事を、
 
あなたがたに聞いてみたい。
 
あなたがたが御霊を受けたのは、
 
律法を行ったからか、
 
それとも、聞いて信じたからか。
 
あなたがたは、
 
そんなに物わかりがわるいのか。
 
御霊で始めたのに、
 
今になって肉で仕上げるというのか。
 
あれほどの大きな経験をしたことは、
 
むだであったのか。
 
まさか、むだではあるまい。
 
すると、あなたがたに御霊を賜い、
 
力あるわざを
 
あなたがたの間でなされたのは、
 
律法を行ったからか、
 
それとも、聞いて信じたからか。」 
 
 
 
「御霊を受けた」「大きな体験」は、
 
聖霊のバプテスマの体験のように思われます。
 
 
パウロの生きた時代は、使徒行伝の時代です。
 
 
イエス・キリストを信じると,水のバプテスマを受け,
 
同時に異言を伴う聖霊のバプテスマを受けていました。
 
 
聖霊を受けたのは,律法を行ったからではなく,
 
聴いて信じたから受けたと言います。
 
 
 
 
 
 
キリストの贖い (1)
 
 
(ガラテヤ3:13)
 
「キリストは,
 
私たちのためにのろわれたものとなって,
 
私たちを律法ののろいから
 
贖い出してくださいました。
 
なぜなら,
 
『木にかけられる者は
 
すべてのろわれたものである。』
 
と書いてあるからです。」
 
 
 
旧約聖書には,罪を犯すものはのろわれる(呪われる)とあります。
 
 
(申命記27:15)
「『工人の手の作である刻んだ像,
または鋳た像は,
主が憎まれるものであるから,
それを造って,
ひそかに安置する者はのろわれる』。
民は,みな答えて
アァメンと言わなければならない。」
 
 
(申命記21:22,23)
「もし人が死にあたる罪を犯して殺され,
あなたがそれを木の上にかける時は, 
翌朝までその死体を
木の上に留めておいてはならない。
必ずそれをその日のうちに
埋めなければならない。
木にかけられた者は
神にのろわれた者だからである。
あなたの神,
主が嗣業として賜わる地を
汚してはならない。」
 
 
 
イエス・キリストは,
 
わたしたちのために呪いとなってくださいました。
 
 
わたしたちはイエス・キリストを信じるなら,
 
呪いから自由にされ,解放され,神の祝福が与えられます。
 
 
 
 
 
 
のろいからの贖い  (2)
 
 
(ガラテヤ3:13)
 
「キリストは,
 
わたしたちのためにのろいとなって,
 
わたしたちを律法ののろいから
 
あがない出して下さった。
 
聖書に,『木にかけられる者は,
 
すべてのろわれる』と書いてある。」
 
 
 
「贖い出す」とは,代価を払って,
 
ある人を奴隷の身分から解放することを言います。
 
 
「私たちのためにのろわれたものとなって」とは,
 
具体的にはキリストと十字架の死を意味します。
 
 
「木にかけられる者」とは,十字架につけられる者のことです。
 
 
キリストが十字架につけられ,
 
われわれの罪ののろいを身代わりに受けててくださったので,
 
わたしたちは律法ののろいから贖い出されました。
 
 
 
(ローマ3:24)
「ただ,神の恵みにより,
キリスト・イエスによる贖いのゆえに,
価なしに義と認められるのです。」
 
 
 
 
 
 
 
木にかけられる者は,すべてのろわれる(3)
 
 
(ガラテヤ3:13)
 
「キリストは,
 
わたしたちのためにのろいとなって,
 
わたしたちを律法ののろいから
 
あがない出して下さった。
 
聖書に,
 
『木にかけられる者は,
 
すべてのろわれる』
 
と書いてある。」
 
 
 
「律法ののろい」とは,
 
律法の行いによって義を持ちたいと願いながら,
 
実際には律法を実行しえないで絶望的状態に陥るか,
 
あるいは,
 
律法を行い得ていると錯覚し高慢になることです。
 
 
「キリストは,
 
私たちのためにのろわれたものとなって」,
 
私たちを解き放ち,
 
自由を与えて下さっています。
 
 
 
パウロは申命記21:23を引用しています。
 
 
のろいを身に受けられるキリストご自身,
 
「律法の下にある者」(4:4)として律法を全うし,
 
その結果受けられる祝福を
 
のろいと引き換えに与えて下さっています。
 
 
 
のろいをキリストが受け,
 
祝福をわたしたちが受けるのです。
 
 
 
 
 
 
祝福
 
 
(ガラテヤ3:14)
 
「このことは,アブラハムへの祝福が,
 
キリスト・イエスによって
 
異邦人に及ぶためであり,
 
その結果,私たちが信仰によって
 
約束の御霊を受けるためなのです。」
 
 
 
私たちは,
 
イエス・キリストを信じることによって,
 
聖霊を受けます。
 
 
 
ここでの「約束の御霊」とは,
 
ペンテコステの時に下った聖霊だと考えます。
 
 
(ルカ24:49)
「見よ、わたしの父が約束されたものを、
あなたがたに贈る。
だから、上から力を授けられるまでは、
あなたがたは都にとどまっていなさい」。
 
 
 
(使徒1:4、5)
「エルサレムから離れないで、
かねてわたしから聞いていた
父の約束を待っているがよい。
すなわち、
ヨハネは水でバプテスマを授けたが、
あなたがたは間もなく聖霊によって、
バプテスマを授けられるであろう」。 
 
 
 

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祝福 2
 
 
(ガラテヤ3:14)
 
「このことは,アブラハムへの祝福が,
 
キリスト・イエスによって
 
異邦人に及ぶためであり,
 
その結果,私たちが信仰によって
 
約束の御霊を受けるためなのです。」
 
 
 
キリストの贖いは,
 
アブラハムに与えられた祝福(信仰義認)(創世記15:6)
 
とすべての国民に約束された祝福(創世記12:3)は,
 
聖霊によってわたしたちのものとなります。
 
 
また,信仰によって,アブラハムの祝福と聖霊の祝福は同じように,
 
または,聖霊が祝福の頂点として与えられます。
 
 
 
 
 
 
律法と約束
 
 
(ガラテヤ3:19-21)
 
「律法とはいったい何か。
 
律法は,約束を与えられた
 
あの子孫が来られるときまで,
 
違犯を明らかにするために
 
付け加えられたもので,
 
天使たちを通し,
 
仲介者の手を経て制定されたものです。
 
仲介者というものは,
 
一人で事を行う場合には要りません。
 
約束の場合,
 
神はひとりで事を運ばれたのです。
 
それでは,
 
律法は神の約束に
 
反するものなのでしょうか。
 
決してそうではない。
 
万一,人を生かすことができる律法が
 
与えられたとするなら,
 
確かに人は律法によって
 
義とされたでしょう。」
 
 
 
 
 
 
律法と恵み
 
 
(ガラテヤ3:23-26)
 
「信仰が現れる前には,
 
わたしたちは律法の下で監視されており,
 
やがて啓示される信仰の時まで
 
閉じ込められていた。 
 
このようにして律法は,
 
信仰によって義とされるために,
 
わたしたちをキリストに
 
連れて行く養育掛となったのである。 
 
しかし,いったん信仰が現れた以上,
 
わたしたちは,
 
もはや養育掛のもとにはいない。 
 
あなたがたはみな,
 
キリスト・イエスにある信仰によって,
 
神の子なのである。」
 
 
 
律法により,罪を知り,
 
神の恵みを知ることができます。
 
 
 
(ローマ5:20)
「律法がはいり込んできたのは,
罪過の増し加わるためである。
しかし,罪の増し加わったところには,
恵みもますます満ちあふれた。」
 
 
 
「いかに汚れたる」新聖歌376
 
1.
いかに汚(けが)れたる 者の心をも
 
きよめ給う主は げにほむべきかな
 
(折り返し)
 
罪汚れは いや増すとも 
 
主の恵みもまた いや増すなり
 
 
2.
君に逆らいし 時こそ多けれ
 
従いまつりし 日はそも幾許(いくばく)
 
 
3.
汚れのみ多く いさおはなけれど
 
君は血潮もて 洗わせ給えり
 
 
4.
かくも満ち足れる 恵みの数々
 
力限りなお たたえ歌わばや
 
 
 
 
 
 
神の子とされる
 
 
(ガラテヤ3:26)
 
「あなたがたはみな,
 
キリスト・イエスに対する信仰によって,
 
神の子どもです。」
 
 
 
イエス・キリストを信じる者は,神の子となります。
 
アブラハムの祝福を相続します。
 
 
(ヨハネ1:12)
「しかし,彼を受けいれた者,
すなわち,その名を信じた人々には,
彼は神の子となる力を与えたのである。」
 
 
(ガラテヤ3:26-29)
「あなたがたはみな,
キリスト・イエスに対する信仰によって,
神の子どもです。
バプテスマを受けて
キリストにつく者とされた
あなたがたはみな,
キリストをその身に着たのです。
ユダヤ人もギリシヤ人もなく,
奴隷も自由人もなく,
男子も女子もありません。
なぜなら,あなたがたはみな,
キリスト・イエスにあって,
一つだからです。
もしあなたがたが
キリストのものであれば,
それによってアブラハムの子孫であり,
約束による相続人なのです。」
 
 
 
 
 
 
キリストを着る
 
 
(ガラテヤ3:27)
 

「バプテスマを受けて
 
キリストにつく者とされた
 
あなたがたはみな,
 
キリストをその身に着たのです。」
 


「キリストをその身に着た」とは,神の恵みの事実を表わしています。

 
「キリストを着る」とは,キリストとの親密な人格的な交わりによって,
 

キリストのようになることを意味します。

 
ヘブル語で「贖う」という言葉は覆うということを言い表しています。
 
 
それは,キリストを着ることによって実現します。


パウロはコロサイの手紙で,次のように言っています。
 

(コロサイ3:10)
「新しい人を着たのです。
新しい人は,
造り主のかたちに似せられて
ますます新しくされ,
真の知識に至るのです。」
 

(コロサイ3:12-17)
「それゆえ,神に選ばれた者,
聖なる,愛されている者として,
あなたがたは深い同情心,慈愛,謙遜,
柔和,寛容を身に着けなさい。
互いに忍び合い,
だれかがほかの人に
不満を抱くことがあっても,
互いに赦し合いなさい。
主があなたがたを
赦してくださったように,
あなたがたもそうしなさい。
そして,これらすべての上に,
愛を着けなさい。
愛は結びの帯として完全なものです。
キリストの平和が,
あなたがたの心を支配するようにしなさい。
そのためにこそあなたがたも
召されて一体となったのです。
また,感謝の心を持つ人になりなさい。
キリストのことばを,
あなたがたのうちに豊かに住まわせ,
知恵を尽くして互いに教え,
互いに戒め,詩と賛美と霊の歌とにより,
感謝にあふれて
心から神に向かって歌いなさい。
あなたがたのすることは,
ことばによると行ないによるとを問わず,
すべて主イエスの名によってなし,
主によって父なる神に感謝しなさい。」
 
 
 
 
 
 
キリストを着る(2)
 
 
(ガラテヤ3:27)
 

「バプテスマを受けて
 
キリストにつく者とされた
 
あなたがたはみな,
 
キリストをその身に着たのです。」


 
イエス・キリストを信じると神と一つとなります。
 
 
イエスに「ぶどうの木」のたとえがあります。
 
 
(ヨハネ15:3)
「わたしにとどまりなさい。
わたしも,
あなたがたの中にとどまります。
枝がぶどうの木についていなければ,
枝だけでは実を結ぶことができません。
同様にあなたがたも,
わたしにとどまっていなければ,
実を結ぶことはできません。」
 
 
(エペソ4:22-24)
「すなわち,あなたがたは,
以前の生活に属する,
情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て, 
心の深みまで新たにされて, 
真の義と聖とをそなえた神にかたどって
造られた新しき人を着るべきである。」
 
 

 
 
 
キリストを着る(3)
 
 
(ガラテヤ3:26,27)
 
「あなたがたはみな,
 
キリスト・イエスにある信仰によって,
 
神の子なのである。
 
キリストに合うバプテスマを
 
受けたあなたがたは,
 
皆キリストを着たのである。」 
 
 
 
「キリスト・イエスにある」から,
 
「キリストを着た」となります。
 
 
「バプテスマを受けてキリストにつく」は、
 
「キリストへバプテスマされる」とも訳せます。
 
 
キリストがわたしたちを結びつけたのです。
 
(2:20,参照ロマ6:3‐11).
 
 
「キリストをその身に着た」
 
(ロマ13:14,エペ4:22‐24)は,
 
神の恵みの御業です。
 
 
 
2019-08-10