朝の光,夕べの雲

キリスト教,聖書の記事

イエスの憐み  (マタイ9:35,36)

 

 

 

(マタイ9:35,36)

「イエスは町や村を残らず回って,

会堂で教え,御国の福音を宣べ伝え,

ありとあらゆる病気や患いをいやされた。

また,

群衆が飼い主のいない羊のように

弱り果て,

打ちひしがれているのを見て,

深く憐れまれた。」



イエスは憐れみ深い方でした。


いやしは,

この憐みによってなされました。

 



イエスの憐みは,

マタイの福音書の別のか所では

次のように書かれています。

 

(マタイ14:14)

「イエスは舟から上がり,

大勢の群衆を見て深く憐れみ,

その中の病人をいやされた。」

 


 


(マタイ20:34)

「イエスが深く憐れんで,

その目に触れられると,

盲人たちはすぐ見えるようになり,

イエスに従った。」




 



ヘンリー・ナウエンは

イエス・キリストの憐みについて

次のように書いています。


「福音書が

イエスのあわれみについて語り,

イエスがはらわたの底から

感動したというとき,

それは何かとても神秘的なものを

表現しています。

イエスが感じたあわれみは,

悲しみや同情のように

表面的で一時的な感情とは

明らかに違うものでした。

むしろそれは彼の存在の

いちばん傷つきやすいところにまで

達するものです。

それは,

あわれみをさす

ヘブライ語の「ラハミム」,

つまりヤーウェの胎内を意味します。

まさにあわれみは

イエスにおいて非常に深く,

内的な,力強い情動なので,

神の胎内の動きとしか

表現しようがありません。

そこに,神の優しさと寛大さのすべてが

隠されています。

そこでは,神は父でしかも母,

兄弟でしかも姉妹,

息子であると同時に娘なのです。

そこでは,

すべての感情,衝動,情熱が,

神の愛のなかで

ひとつとなっているのです。

イエスがあわれみに動かされると,

すべてのいのちの源がゆり動かされ,

すべての愛の土壌が避けて開かれ,

神の限りない,

無尽蔵な計り知れない(immense)

優しさの深淵(abyss)が,

その姿を現すのです。

これが神のあわれみの神秘であって,

新約聖書のいやしの物語のなかで

目に見えるものとなるのです。」




2014-07-05