朝の光,夕べの雲

キリスト教,聖書の記事

創造 (創世記1:1-5)

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創造


(創世記1:1-5)

「初めに,神が天と地を創造した。

地は形がなく,何もなかった。

やみが大いなる水の上にあり,

神の霊は水の上を動いていた。

そのとき,

神が「光よ。あれ。」と仰せられた。

すると光ができた。

神はその光をよしと見られた。

そして神はこの光とやみとを区別された。

神は,この光を昼と名づけ,

このやみを夜と名づけられた。

こうして夕があり,朝があった。

第一日。」





聖書は,

神が「天と地」(万物)を

創造したと言います。



聖書では,唯一の神が万物を言葉によって,

無から,良く「天と地」を造りました。




わたしたちには,

次のような聖書の言葉から

「神による創造」がわかります。


それは,

ローマ書によるアブラハムの信仰,

そして陶器師のイメージによってです。


創世記の出来事である「創造」を,

パウロは解説しているのです。


神は無から有を創造しました。





(ローマ4:19)

「アブラハムは,

およそ百歳になって,

自分のからだが死んだも同然であることと,

サラの胎の死んでいることとを認めても,

その信仰は弱りませんでした。」




(ローマ9:21)

「陶器を作る者は,

同じ土のかたまりから,

尊いことに用いる器でも,

また,つまらないことに用いる器でも

作る権利を持っていないのでしょうか。」


 


 ☆


新約聖書のヘブル人への手紙には,

次のことばがあります。


「信仰によってアブラハムは,

試練を受けたとき,

イサクをささげた。

すなわち,約束を受けていた彼が,

そのひとり子をささげたのである。

・・・・彼は,神が死人の中から

人をよみがえらせる力がある,

と信じていたのである」

(ヘブル11:17)



創造という信仰は,

仏教にはないようです。

創造という概念を,

私たちは生まれながらには

持っていないのかもしれません。

「創造」は聖書をとおしてだけ,

学ぶことが出来るのかもしれません。

 

 

 

 

 2015.11.10