朝の光,夕べの雲

キリスト教,聖書の記事

天に昇り (使徒信条) (ルカ24:50,51)

 
「天に昇り」とは,
 
イエス・キリストが神の栄光の世界に
 
入られたことを意味します。
 
 
 
(ルカ24:50,51)
 
「それから,イエスは,
 
彼らをベタニヤまで連れて行き,
 
手を上げて祝福された。
 
そして祝福しながら,
 
彼らから離れて行かれた。」
 
 
 
イエス・キリストは,
 
変貌したからだで,
 
父の栄光にあげられました。
 
 
しかし,神がどこにでもおられるように,
 
天に昇られ,
 
「神の右」におられるイエス・キリストは
 
どこにでもおられます。
 
 
わたしたちは,
 
イエス・キリストの臨在に
 
あずかることができます。
 
 
 
 
 
(使徒1:9-11)
 
「こう言ってから,
 
イエスは彼らが見ている間に上げられ,
 
雲に包まれて,
 
見えなくなられた。
 
イエスが上って行かれるとき,
 
弟子たちは天を見つめていた。
 
すると,見よ,
 
白い衣を着た人がふたり,
 
彼らのそばに立っていた。
 
そして,こう言った。
 
『ガリラヤの人たち。
 
なぜ天を見上げて立っているのですか。
 
あなたがたを離れて
 
天に上げられたこのイエスは,
 
天に上って行かれるのを
 
あなたがたが見たときと同じ有様で,
 
またおいでになります。』」
 
 
 
 
「キリストは,
 
世のおわりまでわたしたちと共にいます。」
 
 
神としてのイエスは,
 
どこにでも存在(臨在)します。
 
 
 
人としてのイエス・キリストは,
 
わたしたちと共にいます。
 
 
わたしたちの内なるキリストとして
 
存在しています。
 
 
 
(コロサイ2:9)
 
「キリストのうちにこそ,
 
神の満ち満ちたご性質が
 
形をとって宿っています。」
 
 
イエスが昇天し,
 
神の右にいることは,
 
聖書の言葉と内なるキリストによって,
 
わたしたちは知ることができます。
 
 
 
 
2014-03-03