(1ペテロ3:18)
「キリストも
一度罪のために死なれました。
正しい方が
悪い人々の身代わりとなったのです。
それは,肉においては死に渡され,
霊においては生かされて,
私たちを神のみもとに導くためでした。」
イエス・キリストの生涯は,
神に従順でした。
神の御心に従がい,律法に服従し,
律法を完全に成就しました。
イエス・キリストの生涯,
特にその終わりにおいて,
全人類の罪に対する神の怒りを
体と魂に負いました。
イエス・キリストは,
わたしたちのために
「苦しみ」を受けたのです。
イエス・キリストの生涯は,
わたしたちに恵みを
与えてくださいました。
イエス・キリストを信じるものは,
神の恵みと,
罪の赦し,義と永遠の命を受けます。
信仰による義
(ローマ3:24)
「ところが今や,律法とは関係なく,
しかも律法と預言者によって立証されて,
神の義が示されました。
すなわち,
イエス・キリストを信じることにより,
信じる者すべてに与えられる神の義です。
そこには何の差別もありません。
人は皆,罪を犯して
神の栄光を受けられなくなっていますが,
ただキリスト・イエスによる
贖いの業を通して,
神の恵みにより無償で義とされるのです。
神はこのキリストを立て,
その血によって信じる者のために
罪を償う供え物となさいました。
それは,今まで人が犯した罪を見逃して,
神の義をお示しになるためです。
このように神は忍耐してこられたが,
今この時に義を示されたのは,
御自分が正しい方であることを
明らかにし,
イエスを信じる者を
義となさるためです。」
わたしたちは,
イエス・キリストを信じることによって,
義とされます。
☆ ☆
イエス・キリストの苦しみによって,
わたしたちの体と魂の刑罰から
救い出されます。
イエス・キリストは
十字架にかけられました。
イエス・キリストは,十字架にかけられ,
死んだことによって,
わたしたちにかかっている呪いを
引き受けてくださいました。
(ガラテヤ3:10-13)
「というのは,
律法の行ないによる人々はすべて,
のろいのもとにあるからです。
こう書いてあります。
『律法の書に書いてある,
すべてのことを
堅く守って実行しなければ,
だれでもみな,のろわれる。』
ところが,
律法によって
神の前に義と認められる者が,
だれもいないということは明らかです。
『義人は信仰によって生きる。』
のだからです。
しかし律法は,
『信仰による。』のではありません。
『律法を行なう者は
この律法によって生きる。』のです。
キリストは,
私たちのためにのろわれたものとなって,
私たちを律法ののろいから
贖い出してくださいました。
なぜなら,
『木にかけられる者は
すべてのろわれたものである。』
と書いてあるからです。」
○
イエス・キリストは「死」によって,
わたしたちの罪を
償ってくださいました。
(ローマ8:3,4)
「肉によって無力になったため,
律法にはできなくなっていることを,
神はしてくださいました。
神はご自分の御子を,罪のために,
罪深い肉と同じような形で
お遣わしになり,
肉において罪を処罰されたのです。
それは,肉に従って歩まず,
御霊に従って歩む私たちの中に,
律法の要求が全うされるためなのです。」
2015-12-07