(1コリント1:18)
「十字架のことばは,
滅びに至る人々には愚かであっても,
救いを受ける私たちには,
神の力です。」
パウロは,「十字架のことば」によって,
コリントの教会の多くの問題,
が解決ができると考えていました。
「十字架のことば」とは,
イエス・キリストが十字架にかかったこと
そして,復活したことです。
イエス・キリストの
十字架と復活の業によって,
信じる者の罪が赦るされ,
解放されるというものです。
また,「十字架の言葉」とは,
福音のことです。
コリント教会での問題の解決は,
この福音でした。
そして,福音の中心が
イエス・キリストの十字架でした。
イエス・キリストは,
弟子たちに3度自分の死と復活を
予告していました。
イエス・キリストは,
御自身が十字架にかかり,
復活することを知っていました。
イエス・キリストにとっても,
十字架と復活が
最も大切なことと考えていました。
(マルコ10:32-34)
「さて,一行は,
エルサレムに上る途中にあった。
イエスは先頭に立って歩いて行かれた。
弟子たちは驚き,
また,あとについて行く者たちは
恐れを覚えた。
すると,イエスは再び十二弟子を
そばに呼んで,
ご自分に起ころうとしていることを,
話し始められた。
『さあ,これから,
わたしたちはエルサレムに
向かって行きます。
人の子は,祭司長,
律法学者たちに引き渡されるのです。
彼らは,人の子を死刑に定め,
そして,異邦人に引き渡します。
すると彼らはあざけり,
つばきをかけ,むち打ち,
ついに殺します。
しかし,人の子は三日の後に,
よみがえります。』」
三浦綾子さんは,
十字架について,次のように書いています。
(「生きること思うこと」)
「それにつけても,
わたしは十字架がありがたい。
イエスさまが十字架におかかりになった
ありがたさが身にしみる。
天下晴れて,
神さまの前に祈ることのできる
幸いがうれしくてならない。」
2019-04-07