朝の光,夕べの雲

キリスト教,聖書の記事

一粒の麦(ヨハネ12:24-26)

f:id:john3-16:20220412150929p:plain

 


 

(ヨハネ12:24-26)

「はっきり言っておく。

一粒の麦は,

地に落ちて死ななければ,

一粒のままである。

だが,死ねば,

多くの実を結ぶ。

…わたしに仕えようとする者は,

わたしに従え。」

 

 

 何人かのギリシア人が,

「イエスにお目にかかりたい」

と言います。

 

よみがえったラザロの出来事を知り,

命の主にお会いしたいと

願ったのかもしれません。

 

イエスに世界に

希望をもたらす命があります。

 

復活の命は,

十字架の死を経て与えられます。

 

十字架は,主イエスが私たちを愛し,

私たちの身代わりとして,

 

命の源である父に自身を献げることを,

ご自身の栄光としてくださいます。

 

そして御子の愛の極みである死に,

御父の愛の極みである命が注がれました。

 

一粒の麦が死ぬことによって,

多くの実を結ぶ命が現れました。

 

 

わたしたちも,

誰かのために一粒の麦となれますように。

 

 

☆彡

 


(ヨハネ12:24-26)
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。

一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。

しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
自分のいのちを愛する者はそれを失い、

この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。
わたしに仕えるというのなら、

その人はわたしについて来なさい。

わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。

もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。」