律法学者やパリサイ人の義にまさるもの
(マタイ5:20)
「まことに,あなたがたに告げます。
もしあなたがたの義が,
律法学者やパリサイ人の義に
まさるものでないなら,
あなたがたは決して天の御国に,
入れません。」
「まされる義」とは,
21節から6つの実例を上げています。
21節以降には特徴的なフレーズがあります。
すなわち,
「(昔の人々に,)『・・・』と言われたのを,
あなたがたは聞いています。
しかし,わたしはあなたがたに言います。・・・」
(①21~26節, ②27~30節,③31~32節,④33~37節,⑤38~42節,⑥43~48節)という個所です。
「あなたがたの義」とは,
旧約を成就するために来た方を信じる
信仰による義です。
(マタイ5:17-20)
「わたしが来たのは
律法や預言者を廃棄するためだと
思ってはなりません。
廃棄するためにではなく,
成就するために来たのです。
まことに,あなたがたに告げます。
天地が滅びうせない限り,
律法の中の一点一画でも
決してすたれることはありません。
全部が成就されます。
だから,
戒めのうち最も小さいものの一つでも,
これを破ったり,
また破るように人に教えたりする者は,
天の御国で,
最も小さい者と呼ばれます。
しかし,それを守り,
また守るように教える者は,
天の御国で,偉大な者と呼ばれます。
まことに,
あなたがたに告げます。
もしあなたがたの義が,
律法学者やパリサイ人の義に
まさるものでないなら,
あなたがたは決して天の御国に,
入れません。
「まされる義」とは,
自分の罪を悲しみ,悔い改める者は,
「律法の行いによる義」ではなく,
「イエス・キリストを信じる信仰による神の義」
(ローマ3;22)となります。
このキリストを信じる信仰による義こそ,
「まされる義」であり,
天国を受け継ぐ義です。
(ロ-マ3:21,22)
「しかし,今は,律法とは別に,
しかも律法と預言者によってあかしされて,
神の義が示されました。
すなわち,
イエス・キリストを信じる
信仰による神の義であって,
それはすべての信じる人に与えられ,
何の差別もありません。」
(ピリピへの手紙3章7~9節)新改訳
しかし私は,
自分にとって得であった
このようなすべてのものを,
キリストのゆえに
損と思うようになりました。
それどころか,
私の主であるキリスト・イエスを
知っていることのすばらしさのゆえに,
私はすべてを損と思っています。
私はキリストのゆえにすべてを失いましたが,
それらはちりあくただと考えています。
それは,私がキリストを得て,
キリストにある者と認められる
ようになるためです。
私は律法による自分の義ではなく,
キリストを信じることによる義,
すなわち,
信仰に基づいて
神から与えられる義を持つのです。