朝の光,夕べの雲

キリスト教,聖書の記事

父からの報い   (マタイ6:1)



 

 

父からの報い

 

(マタイ6:1)口語訳

「自分の義を,

見られるために

人の前で行わないように,

注意しなさい。

もし,そうしないと,

天にいますあなたがたの父から

報いを受けることがないであろう。」

 

まず,イエスは次のように言います。

 

(マタイ6:1,口語訳)

「自分の義を,

見られるために

人の前で行わないように,

注意しなさい。

もし,そうしないと,

天にいますあなたがたの父から

報いを受けることがないであろう。」

 

そして,宗教生活における,

施し,祈り断食の

3つの具体的な例を上げます。

 

 

☆彡

 

(マタイ6:1,2口語訳)

 自分の義を,

見られるために

人の前で行わないように,

注意しなさい。

もし,そうしないと,

天にいますあなたがたの父から

報いを受けることがないであろう。

 だから,施しをする時には,

偽善者たちが

人にほめられるため

会堂や町の中でするように,

自分の前でラッパを吹きならすな。

よく言っておくが,

彼らはその報いを受けてしまっている。

 

 

 

 

施しをするとき

 

(マタイ6:3,4)口語訳

「あなたは施しをする場合,

右の手のしていることを

左の手に知らせるな。

それは,

あなたのする施しが

隠れているためである。

すると,

隠れた事を見て

おられるあなたの父は,

報いてくださるであろう。」

 

 

パリサイ人は施し,

祈りや断食などの善行によって,

神に義されようとしました。

 

イエスは,

このようなパリサイ人を

偽善者と決めつけ,

偽善者にならないようにと言います。

 

わたしたちは自分の行いによっては,

神のところに行けません。

 

自分の義ではなく,神の憐みによって,

神から報いが得られます。

 

 

☆彡

 

(マタイ6:1-4)口語訳

 自分の義を,

見られるために

人の前で行わないように,

注意しなさい。

もし,そうしないと,

天にいますあなたがたの父から

報いを受けることがないであろう。

 だから,施しをする時には,

偽善者たちが

人にほめられるため

会堂や町の中でするように,

自分の前でラッパを吹きならすな。

よく言っておくが,

彼らはその報いを

受けてしまっている。

あなたは施しをする場合,

右の手のしていることを

左の手に知らせるな。

それは,

あなたのする施しが

隠れているためである。

すると,

隠れた事を見ておられる

あなたの父は,

報いてくださるであろう。

 

 

 

 

祈るとき

 

(マタイ6:6,7)口語訳

「あなたは祈る時,

自分のへやにはいり,戸を閉じて,

隠れた所においでになる

あなたの父に祈りなさい。

すると,

隠れた事を見ておられるあなたの父は,

報いてくださるであろう。

また,祈る場合,異邦人のように,

くどくどと祈るな。

彼らは言葉かずが多ければ,

聞きいれられるものと思っている。」

 

 

人に聞かせる祈りは,偽善です。

 

祈りは,神に対して

正しい動機でするなら意味があります。

 

 

 

第2の善行の祈りにおいても(5‐15),

 

自分の敬虔さが他の人にわかるようにしてはならない,

 

人からの称賛を求める偽善を避けるには,

人の目の届かない所で祈るのがよい,

天の父は見て報いて下さいます。

 

問題は誰に対して祈っているかです。

 

人にささげているのか,

それとも神にささげているのかを問われています。

 

 

また,神を知らない異邦人は同じ言葉を何度も繰り返したり,

長い祈りをしたりします。

 

祈りの量によって効果が決るのではない,

祈る言葉に思いを向けるのではなく,

祈る対象がどのような方であるかを

理解することが重要です。

 

願う以前に必要なものを知っている

自分の父に告げているのだということを

意識することが大切です。

 

 

☆彡

 

(マタイ6:5-15口語訳)

また祈る時には,

偽善者たちのようにするな。

彼らは人に見せようとして,

会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。

よく言っておくが,

彼らはその報いを受けてしまっている。

あなたは祈る時,

自分のへやにはいり,

戸を閉じて,

隠れた所においでになる

あなたの父に祈りなさい。

すると,

隠れた事を見ておられる

あなたの父は,

報いてくださるであろう。

 また,祈る場合,

異邦人のように,

くどくどと祈るな。

彼らは言葉かずが多ければ,

聞きいれられるものと思っている。

だから,彼らのまねをするな。

あなたがたの父なる神は,

求めない先から,

あなたがたに必要なものは

ご存じなのである。

だから,

あなたがたはこう祈りなさい,

天にいますわれらの父よ,

御名があがめられますように。

御国がきますように。

みこころが天に行われるとおり,

地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの食物を,

きょうもお与えください。

わたしたちに負債のある者を

ゆるしましたように,

わたしたちの負債をもおゆるしください。

わたしたちを試みに会わせないで,

悪しき者からお救いください。

もしも,あなたがたが,

人々のあやまちをゆるすならば,

あなたがたの天の父も,

あなたがたをゆるして下さるであろう。

もし人をゆるさないならば,

あなたがたの父も,

あなたがたのあやまちを

ゆるして下さらないであろう。

 

 

 

断食

 

(マタイ6:16-18)

 また断食をする時には,

偽善者がするように,

陰気な顔つきをするな。

彼らは断食をしていることを

人に見せようとして,

自分の顔を見苦しくするのである。

よく言っておくが,

彼らはその報いを受けてしまっている。

 あなたがたは断食をする時には,

自分の頭に油を塗り,

顔を洗いなさい。

 それは断食をしていることが

人に知れないで,

隠れた所においでになる

あなたの父に知られるためである。

すると,

隠れた事を見ておられるあなたの父は,

報いて下さるであろう。

 

 

パリサイ人たちが断食していることを誇示しました。

 

偽善者の行いです。

 

 

(ルカ18:9-14)口語訳

あなたがたに言っておくが,

神はすみやかにさばいてくださるであろう。

しかし,人の子が来るとき,

地上に信仰が見られるであろうか」。

自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して,

イエスはまたこの譬をお話しになった。

 「ふたりの人が祈るために宮に上った。

そのひとりはパリサイ人であり,

もうひとりは取税人であった。

パリサイ人は立って,

ひとりでこう祈った,

『神よ,わたしはほかの人たちのような貪欲な者,

不正な者,姦淫をする者ではなく,

また,この取税人のような人間でもないことを感謝します。

 わたしは一週に二度断食しており,

全収入の十分の一をささげています』。

 ところが,取税人は遠く離れて立ち,

目を天にむけようともしないで,

胸を打ちながら言った,

『神様,罪人のわたしをおゆるしください』と。

 あなたがたに言っておく。

神に義とされて自分の家に帰ったのは,

この取税人であって,

あのパリサイ人ではなかった。

おおよそ,自分を高くする者は低くされ,

自分を低くする者は高くされるであろう」。

 

 

(エペソ2:8,9口語訳)

「あなたがたの救われたのは,

実に,恵みにより,信仰によるのである。

それは,あなたがた自身から出たものではなく,

神の賜物である。

決して行いによるのではない。

それは,だれも誇ることがないためなのである。」