朝の光,夕べの雲

キリスト教,聖書の記事

ローマ書 5か所 の解説

 
 
 
 
「霊の思い」(ローマ8:27) ほか
 

 

1.
 
 
なだめの供え物 
 
 
(ローマ3:25)
 
「神は,キリスト・イエスを,
 
その血による,
 
また信仰による,
 
なだめの供え物として,
 
公にお示しになりました。
 
それは,
 
ご自身の義を現わすためです。
 
というのは,
 
今までに犯されて来た罪を
 
神の忍耐をもって
 
見のがして来られたからです。」
 
 
 
「なだめの供え物」とは,
 
旧約聖書では,幕屋または神殿での
 
贖罪所の契約の箱のふたに,
 
小羊の血を注ぐことです。
 
 
 
 神の怒りに対する「なだめ」です。
 
 
 
「なだめの供え物」は,
 
人々のあらゆる不敬虔と不正とに対して
 
「神の怒り」をなだめるためのものでした。
 
 
 
そして,イエス・キリストの流された血は,
 
「なだめの供え物」として
 
信じる者の罪を赦すためでした。
 
 
 
 
 
 
 (レビ17:11)
 
 
「肉のいのちは血の中にあるからである。
 
わたしはあなたがたのいのちを
 
祭壇の上で贖うために,
 
これをあなたがたに与えた。
 
いのちとして贖いをするのは血である。」
 
 
  
イエス・キリストの十字架による血は,
 
イエス・キリストの命をあらわしています。
 
 
 
 (ヘブル9:22)
 
「律法によれば,
 
すべてのものは血によってきよめられる,
 
と言ってよいでしょう。
 
また,血を注ぎ出すことがなければ,
 
罪の赦しはないのです。」
 
 
 
 
 
 
 
「信仰による」とは,
 
イエス・キリストの与えてくださる
 
恵みを受け入れることです。
 
 
「なだめの供え物」とは,
 
「贖罪所のふた」とも訳し方があります。
 
 
 
「贖罪所のふた」とは,
 
至聖所の中に置かれた
 
契約の箱の蓋のことです。
 
 
 
大祭司が贖罪日に小羊をほふり,
 
血を契約の蓋に注ぎます。
 
 
 
このことによって,
 
神は民との和解を成しました。
 
 
 
わたしたちは,
 
イエス・キリストが「贖罪所の蓋」として,
 
罪の赦しと神との和解を
 
得ることが出来ます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2.
 
 
信仰による義 
 
 
(ローマ3:25新改訳)
 
 
「神は,キリスト・イエスを,
 
その血による,
 
また信仰による,
 
なだめの供え物として,
 
公にお示しになりました。
 
それは,ご自身の義を現すためです。
 
というのは,
 
今までに犯されて来た罪を
 
神の忍耐をもって
 
見のがして来られたからです。」
 
 
 
☆彡 
 
 
 
(ローマ3:25口語訳)
 
「神はこのキリストを立てて,
 
その血による,
 
信仰をもって受くべき
 
あがないの供え物とされた。
 
それは神の義を示すためであった。」
 
 
 
神は全人類の罪の裁きを
 
御子の十字架の上で
 
容赦なく現すことによって
 
神自ら義となられました。
 
 
主イエスを信じる者をも
 
義とされるのです。
 
 
 
 ☆彡
 
 
 
(ローマ3:25 新共同訳)
 
 
「神はこのキリストを立て,
 
その血によって信じる者のために
 
罪を償う供え物となさいました。
 
それは,今まで人が犯した罪を見逃して,
 
神の義をお示しになるためです。」
 
 
 
 神は義ですから,
 
人の罪は清算することが必要です。
 
 
そのために神は,
 
キリスト・イエスをなだめの供え物として
 
提供して下さったのです。
 
 
 
 
3.
 
 
 
平安
 

(ローマ5:1)
 

「信仰によって義と認められた私たちは,

私たちの主イエス・キリストによって,

神との平和を持っています。」



わたしたちは罪を犯し
 
神に反逆していましたが,
 
イエス・キリストを信じることによって,
 
罪が赦されました。
 
 
そして,神と和解しました。
 
 
イエス・キリストを信じると,
 
わたしたちに「神との平和」が
 
与えられます。
 
 
「神との平和」によって,
 
心に平安が与えられます。
 
 


 







 
4.
 
 
復活の主と共に生きる  
 

(ローマ6:5)
 

「もし私たちが,

キリストにつぎ合わされて,

キリストの死と

同じようになっているのなら,

必ずキリストの復活とも

同じようになるからです。」



イエス・キリストは十字架にかかり,
 
復活し,今も生きています。


イエス・キリストを信じるなら,
 
イエス・キリストは
 
わたしたちの内に住んでくださいます。


わたしたちの内なるキリストは,
 
わたしたちのすべての罪を
 
赦してくださいます。


わたしたちの内にいるキリストは,
 
復活した主です。
 




 

イエスがラザロをよみがえらすとき,
 
姉妹のマルタに次ぎのように言いました。
 


(ヨハネ11:40)
 

「イエスは彼女に言われた。

『もしあなたが信じるなら,

あなたは神の栄光を見る,

とわたしは言ったではありませんか。』」





 
 
 
罪に死に復活に生きる

(ローマ6:4-13)

「私たちは,

キリストの死にあずかる
バプテスマによって,

キリストとともに葬られたのです。

それは,

キリストが御父の栄光によって

死者の中からよみがえられたように,

私たちも,

いのちにあって新しい歩みをするためです。

もし私たちが,
 
キリストにつぎ合わされて,

キリストの死と
 
同じようになっているのなら,

必ずキリストの復活とも

同じようになるからです。

私たちの古い人がキリストとともに

十字架につけられたのは,

罪のからだが滅びて,

私たちがもはやこれからは

罪の奴隷でなくなるためであることを,

私たちは知っています。

死んでしまった者は,

罪から解放されているのです。

もし私たちが
 
キリストとともに死んだのであれば,

キリストとともに生きることにもなる,

と信じます。

キリストは死者の中からよみがえって,

もはや死ぬことはなく,

死はもはやキリストを支配しないことを,

私たちは知っています。

なぜなら,

キリストが死なれたのは,

ただ一度罪に対して死なれたのであり,

キリストが生きておられるのは,

神に対して生きておられるのだからです。

このように,あなたがたも,

自分は罪に対しては死んだ者であり,

神に対しては

キリスト・イエスにあって生きた者だと,

思いなさい。

ですから,

あなたがたの死ぬべきからだを

罪の支配にゆだねて,

その情欲に従ってはいけません。

また,あなたがたの手足を

不義の器として罪にささげてはいけません。

むしろ,死者の中から生かされた者として,

あなたがた自身とその手足を

義の器として神にささげなさい。」

 
 
5.
 
 
 
子とする御霊
 
 
(ローマ8:15)


あなたがたは,

人を再び恐怖に陥れるような,

奴隷の霊を受けたのではなく,

子としてくださる御霊を受けたのです。

私たちは御霊によって,

『アバ,父。』と呼びます。」
 
 
 
わたしたちがイエスを信じるなら
 
御霊(聖霊)を受け,
 
神を「アバ,父」(お父さん)と
 
呼びます。
 
 
 
イエス・キリストを信じる者は,

イエス・キリストの内にあり
 
いのちの御霊によって
 
父なる神と交わります。







 

☆彡
 
 
 
子とする御霊
 
 
(ローマ8:14ー16)


「神の御霊に導かれる人は,

だれでも神の子どもです。

あなたがたは,

人を再び恐怖に陥れるような,

奴隷の霊を受けたのではなく,

子としてくださる御霊を受けたのです。

私たちは御霊によって,

『アバ,父。』と呼びます。

私たちが神の子どもであることは,

御霊ご自身が,

私たちの霊とともに,

あかししてくださいます。」
 
 
 
 
 
 
御霊の働き

(ローマ8:26-30)

「御霊も同じようにして,

弱い私たちを助けてくださいます。

私たちは,

どのように祈ったらよいか

わからないのですが,

御霊ご自身が,

言いようもない深いうめきによって,

私たちのためにとりなしてくださいます。

人間の心を探り窮める方は,

御霊の思いが何かを

よく知っておられます。

なぜなら,

御霊は,神のみこころに従って,

聖徒のためにとりなしを

してくださるからです。

神を愛する人々,

すなわち,

神のご計画に従って

召された人々のためには,

神がすべてのことを働かせて

益としてくださることを,

私たちは知っています。

なぜなら,

神は,あらかじめ知っておられる人々を,

御子のかたちと同じ姿に

あらかじめ定められたからです。

それは,

御子が多くの兄弟たちの中で

長子となられるためです。

神はあらかじめ定めた人々をさらに召し,

召した人々をさらに義と認め,

義と認めた人々には

さらに栄光をお与えになりました。」

 
 
 
 
5.
 
 
やがての栄光
 
 
(ローマ8:18口語訳)
 
 
「わたしは思う。
 
今のこの時の苦しみは,
 
やがてわたしたちに
 
現されようとする栄光に比べると,
 
言うに足りない。」
 
 
 
ここでの栄光は,
 
イエス・キリストがもう一度来たとき,
 
わたしたちに与えてくださるものです。
 
 
 
そこでは,わたしたちの
 
霊,心,体が回復し,
 
完成されます。
 
 
そこは,
 
神が共にいる天国(神の国)なのです。
 
 
 
2021-05-15