十字架
(ヨハネ3:14,15)
「モーセが荒野で蛇を上げたように,
人の子もまた
上げられなければなりません。
それは,信じる者がみな,
人の子にあって
永遠のいのちを持つためです。」
イエスは,無抵抗な犠牲者として,
十字架に上げられました。
受難の中に,
神の愛が余すところなくあらわされます。
神の愛は,
わたしたちが思うように操作できません。
○
復活
(ヨハネ20:19-20)
「その日,
すなわち週の初めの日の
夕方のことであった。
弟子たちがいた所では,
ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが,
イエスが来られ,
彼らの中に立って言われた。
『平安があなたがたにあるように。』
こう言ってイエスは,
その手とわき腹を彼らに示された。
弟子たちは,主を見て喜んだ。」
弟子たちにとって
キリストの真実また勝利は,
キリストの十字架の後の復活まで,
待たなければなりませんでした。
わたしたちは十字架のもとでは,
わたしたちが復活することを,
待ち望まなければならないことを
教えています。
○
平安
(ヨハネ20:19)
「その日,
すなわち週の初めの日の
夕方のことであった。
弟子たちがいた所では,
ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが,
イエスが来られ,
彼らの中に立って言われた。
『平安があなたがたにあるように。』」
イエスが復活したのち,
弟子たちに話しました。
平和は,心の平安から来るものです。
『平安があなたがたにあるように。』は,
単なる挨拶だという解釈もありますが,
「平安は」復活したイエスが,
わたしたちに与えてくださるものです。
○
エマオの途上
(ルカ24:13-16)
「ちょうどこの日,
ふたりの弟子が,
エルサレムから
十一キロメートル余り離れた
エマオという村に行く途中であった。
そして,
ふたりでこのいっさいの出来事について
話し合っていた。
話し合ったり,
論じ合ったりしているうちに,
イエスご自身が近づいて,
彼らとともに道を歩いておられた。
しかしふたりの目はさえぎられていて,
イエスだとはわからなかった。」
「エマオの途上のキリスト」
の記事の一部です。
復活したキリストに弟子が会います。
落ち込んで,深く傷つき,
生きる望みをなくしていた弟子は,
主が共にいるということを知ることが
出来ませんでした。
この弟子は二人が一緒でした。
主が共にあゆんでくださっていることを
知るとともに,
人は友を求め,共に歩む人を求めています。
○
聖霊が降る
(使徒2:1-4)
「五旬節の日になって,
みなが一つ所に集まっていた。
すると突然,天から,
激しい風が吹いて来るような響きが起こり,
彼らのいた家全体に響き渡った。
また,炎のような分かれた舌が現れて,
ひとりひとりの上にとどまった。
すると,みなが聖霊に満たされ,
御霊が話させてくださるとおりに,
他国のことばで話しだした。」
イエスが十字架に架かり,
復活したのち,弟子たちに聖霊が降り,
聖霊に満たされます。
弟子たちは,
イエスの喪失の出来事を生き抜きました。
そして,弟子たちは人生を外に向け,
前に向かって動き始めました。
○
再臨
(マタイ24:29-31)
「だが,これらの日の苦難に続いてすぐに,
太陽は暗くなり,月は光を放たず,
星は天から落ち,
天の万象は揺り動かされます。
そのとき,
人の子のしるしが天に現れます。
すると,
地上のあらゆる種族は,悲しみながら,
人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて
天の雲に乗って来るのを見るのです。
人の子は大きなラッパの響きとともに,
御使いたちを遣わします。
すると御使いたちは,
天の果てから果てまで,
四方からその選びの民を集めます。」
わたしたちは待つことが,
時間の無駄だと考えることがあります。
しかし,待つことは信仰の中心にあります。
今,わたしたちは,
主がもう一度来てくださることを,
待ち望んでいます。
○
弱さに現われる
(2コリント12:9)
「主は,
『わたしの恵みは,
あなたに十分である。
というのは,
わたしの力は,
弱さのうちに完全に現れるからである』
と言われたのです。
ですから,
私は,キリストの力が私をおおうために,
むしろ大いに喜んで
私の弱さを誇りましょう。」
わたしたちが自分の力によらずに,
神の力によるときにだけ,
神の愛と力が現されます。
○
御霊の実と賜物
(ガラテヤ5:22)
「御霊の実は,
愛,喜び,平安,
寛容,親切,善意,
誠実,柔和,自制です。
このようなものを禁ずる律法は
ありません。」
イエス・キリストは十字架に架けられ,
復活します。
その後,ペンテコステの日に聖霊が,
降ります。
その聖霊は,
わたしたちに「聖霊の実」と
「聖霊の賜物」を与えてくださいます。
わたしたちは,自分の限界を知って,
イエス・キリストが
聖霊によって与えてくださった,
御霊の実と賜物によって,
人を愛し,助けることが必要なのでしょう。
○
「聖霊の賜物」
(1コリント12:7-11)
「みなの益となるために,
おのおのに御霊の現れが
与えられているのです。
ある人には御霊によって
知恵のことばが与えられ,
ほかの人には
同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ,
またある人には
同じ御霊による信仰が与えられ,
ある人には同一の御霊によって,
いやしの賜物が与えられ,
ある人には奇蹟を行う力,
ある人には預言,
ある人には霊を見分ける力,
ある人には異言,
ある人には異言を解き明かす力が
与えられています。
しかし,
同一の御霊がこれらすべてのことを
なさるのであって,
みこころのままに,
おのおのにそれぞれの賜物を
分け与えてくださるのです。」
聖霊は,教会での働きのために
賜物を与えます。
○
上から来る
(ヤコブ 1:17)
「すべての良い贈り物,
また,すべての完全な賜物は
上から来るのであって,
光を造られた父から下るのです。
父には移り変わりや,
移り行く影はありません。」
神から与えられるものは,
自分の努力により得ることが出来ません。
それは,神が人に栄光を
与えないためでもあるのでしょう。
H.
2015.12.2