朝の光,夕べの雲

キリスト教,聖書の記事

たとえで話す (マタイ13:10-17)

 

たとえで話す

(マタイ13:12,13)
「おおよそ,持っている人は与えられて,
いよいよ豊かになるが,持っていない人は,
持っているものまでも取り上げられるであろう。
だから,彼らには譬で語るのである。
それは彼らが,見ても見ず,聞いても聞かず,
また悟らないからである。」
 
 
 
「奥義」とは,旧約では隠されていたが,
 
今はキリストと正しい関係にある者だけに
 
啓示される真理です。
 
 
たとえで話すと,話そのものは聞きやすいが,
 
その真理は分かりにくいです。
 
 
御国を知りたい求道心をもって真剣に聞く人は,
 
いよいよ知識を豊かにされるが,
 
無関心な人には聞いても悟らず,
 
ますます真理から遠ざけられる。
 
 
(マタイ13:10-17)
「それから,弟子たちがイエスに近寄ってきて言った,
『なぜ,彼らに譬でお話しになるのですか」。
そこでイエスは答えて言われた,
「あなたがたには,
天国の奥義を知ることが許されているが,
彼らには許されていない。
おおよそ,持っている人は与えられて,
いよいよ豊かになるが,持っていない人は,
持っているものまでも取り上げられるであろう。
だから,彼らには譬で語るのである。
それは彼らが,見ても見ず,聞いても聞かず,
また悟らないからである。
こうしてイザヤの言った預言が,
彼らの上に成就したのである。
『あなたがたは聞くには聞くが,
決して悟らない。見るには見るが,決して認めない。
この民の心は鈍くなり,その耳は聞えにくく,
その目は閉じている。
それは,彼らが目で見ず,耳で聞かず,
心で悟らず,
悔い改めていやされることがないためである』。
しかし,あなたがたの目は見ており,
耳は聞いているから,さいわいである。
あなたがたによく言っておく。
多くの預言者や義人は,
あなたがたの見ていることを見ようと熱心に願ったが,
見ることができず,
またあなたがたの聞いていることを聞こうとしたが,
聞けなかったのである。」