朝の光,夕べの雲

キリスト教,聖書の記事

山上の説教(マタイ5:1-7:28)

イエス・キリストは山に登り,
 
弟子に,新しい教えをします。
 
 
 

 

 

 
(マタイ5:1,2,3)
 
「この群衆を見て,
 
イエスは山に登り,
 
おすわりになると,
 
弟子たちがみもとに来た。
 
そこで,イエスは口を開き,
 
彼らに教えて,言われた。
 
『心の貧しい者は幸いです。
 
天の御国は
 
その人たちのものだから。』」
 
 
 
イエスの教えは,
 
この世の基準と逆があります。
 
 
「貧しい者は幸い」だといいます。
 
主にあってだけ,幸いがあります。
 
 
 
 
 
 
心の貧しいもの 
 
 
(マタイ5:3)
 
「心の貧しい者は幸いです。
 
天の御国はその人のものだからです。」
 
 
 
「心の貧しい者」とは,
 
神に頼らなければ
 
心(魂)の欲求が満たされないと,
 
自分の無力さを
 
知っている人です。
 
 
「幸い」とは,
 
神に従がうとき与えられる
 
祝福です。
 
 
イエス・キリストの言葉は,
 
わたしたちが,
 
神を信じたときに,
 
理解できます。
 
 
この世のものに幸いはなく。
 
神のうちに,
 
幸いがあります。
 
 
(マタイ5:3-12)
「心の貧しい者は幸いです。
天の御国はその人のものだからです。
悲しむ者は幸いです。
その人は慰められるからです。
柔和な者は幸いです。
その人は地を相続するからです。
義に飢え渇いている者は幸いです。
その人は満ち足りるからです。
あわれみ深い者は幸いです。
その人はあわれみを受けるからです。
心のきよい者は幸いです。
その人は神を見るからです。
平和をつくる者は幸いです。
その人は
神の子どもと呼ばれるからです。
義のために迫害されている者は
幸いです。
天の御国はその人のものだからです。
わたしのために,
ののしられたり,迫害されたり,
また,ありもしないことで
悪口雑言を言われたりするとき,
あなたがたは幸いです。
喜びなさい。喜びおどりなさい。
天においてあなたがたの報いは
大きいのだから。
あなたがたより前に来た預言者たちも,
そのように迫害されました。」
 
 
 
 
 
 
律法の成就
 
 
(マタイ5:17)
 
「わたしが来たのは
 
律法や預言者を廃棄するためだと
 
思ってはなりません。
 
廃棄するためにではなく,
 
成就するために来たのです。」
 
 
 
山上の説教の一部です。
 
 
イエス・キリストが
 
弟子たちに話しました。
 
 
「律法や預言者」とは,
 
旧約聖書全体です。
 
 
イエスは十戒を解釈し,
 
実行しました。
 
 
わたしたちは,
 
律法の行いによってではなく,
 
信仰によって義とされます。
 
 
 
 
求める者には与え
 
 
(マタイ5:42)
 
「求める者には与え,
 
借りようとする者は
 
断わらないようにしなさい。」
 
 
私たちは
 
神から一方的に
 
恵みを受けています。
 
 
恵みとは,
 
私たちの功績によらないで受けるものです。
 
 
行いによって得る報酬とは違います。
 
 
ギブ・アンド・テイク
 
ではありません。
 
 
受けるだけです。
 
 
イエスは,
 
「求めるものには,与えなさい」
 
と言います。
 
 
 
(マタイ5:38-42)
「『目には目で,歯には歯で。』
と言われたのを,
あなたがたは聞いています。
しかし,わたしはあなたがたに言います。
悪い者に手向かってはいけません。
あなたの右の頬を打つような者には,
左の頬も向けなさい。
あなたを告訴して
下着を取ろうとする者には,
上着もやりなさい。
あなたに一ミリオン行けと
強いるような者とは,
いっしょに二ミリオン行きなさい。
求める者には与え,
借りようとする者は
断わらないようにしなさい。」
 
 
 
 
 
 
敵を愛し,迫害する者のために祈れ。
 
 
(マタイ5:43,44)
 
「『自分の隣人を愛し,自分の敵を憎め』
 
と言われたのを,
 
あなたがたは聞いています。
 
しかし,わたしはあなたがたに言います。
 
自分の敵を愛し,
 
迫害する者のために祈りなさい。」
 
 
 
わたしたちが,隣人に対する考えを,
 
イエス・キリストが教えています。
 
 
困難なように思われますが,
 
この方法を
 
イエスは教えています。
 
 
イエスは
 
自分の敵さえも愛するよういいます。
 
 
それは,人を分け隔てせず,
 
太陽や雨という恩恵を与える
 
神の愛に倣うものです。
 
 
(マタイ5:45)
「こうして,
天にいますあなたがたの
父の子となるためである。
天の父は,
悪い者の上にも良い者の上にも,
太陽をのぼらせ,
正しい者にも正しくない者にも,
雨を降らして下さるからである。」
 
 
 
 
 
 
地上の宝
 
 
(マタイ6:19)
 
「自分の宝を
 
地上にたくわえるのはやめなさい。
 
そこでは虫とさびで,きず物になり,
 
また盗人が穴をあけて盗みます。」
 
 
 
 
 
 
主の祈り
 
 
(マタイ6:9-13)
 
「だから,こう祈りなさい。
 
『天にいます私たちの父よ。
 
御名があがめられますように。
 
御国が来ますように。
 
みこころが天で行なわれるように
 
地でも行なわれますように。
 
私たちの日ごとの糧を
 
きょうもお与えください。
 
私たちの負いめをお赦しください。
 
私たちも,
 
私たちに負いめのある人たちを
 
赦しました。
 
私たちを試みに会わせないで,
 
悪からお救いください。』
 
〔国と力と栄えは,
 
とこしえにあなたのものだからです。
 
アーメン。〕」
 
 
 
祈りは,神との霊的な交わりです。
 
 
 
 
 
 
空の鳥を見よ
 
 
(マタイ6:26)
 
「空の鳥を見なさい。
 
種蒔きもせず,刈り入れもせず,
 
倉に納めることもしません。
 
けれども,あなたがたの天の父が
 
これを養っていてくださるのです。
 
あなたがたは,鳥よりも,
 
もっとすぐれたものではありませんか。」
 
 
 
「一羽のすずめ(心くじけて)」
 
(新聖歌285)
 
1.
心くじけて 思い悩み
などて寂(さび)しく 
空を仰(あお)ぐ
主イエスこそ わが真(まこと)の友
 
(折り返し)
一羽のすずめに 目を注(そそ)ぎ給う
主はわれさえも支(ささ)え給うなり
声高らかに われは歌わん
一羽のすずめさえ 主は守り給う
 
2.
心静めて 御声(みこえ)聞けば
恐れは去りて 
委(ゆだ)ぬるを得(え)ん
ただ知らまほし 行(ゆ)く手の道
(折り返し)
 
 
 
 
 
 
心配はやめなさい
 
 
(マタイ6:31)
 
「そういうわけだから,
 
何を食べるか,
 
何を飲むか,
 
何を着るか,
 
などと言って
 
心配するのはやめなさい。」
 
 
 
心配することは,
 
自分の力で何とかなるという
 
思いです。
 
 
つづいて,
 
イエスは次のように言いました。
 
 
 
(マタイ6:33)
 
「だから,
 
神の国とその義とを
 
まず第一に求めなさい。
 
そうすれば,それに加えて,
 
これらのものは
 
すべて与えられます。」
 
 
 
 
 
 
求めなさい
 
 
(マタイ7:7)
 
「求めなさい。
 
そうすれば与えられます。
 
捜しなさい。
 
そうすれば見つかります。
 
たたきなさい。
 
そうすれば開かれます。」
 
 
 
人にできないことも,
 
神にはできます。
 
 
私たちは
 
神に求め続けたいものです。
 
 
求めるものが与えられるのは,
 
祈りが答えられることです。
 
 
神の御心による祈りは,
 
聖霊の働きによって成就します。
 
 
 
 
 
 
「ほかの人にもそのようにしなさい」 
 
 
(マタイ7:12)
 
「それで,何事でも,
 
自分にしてもらいたいことは,
 
ほかの人にもそのようにしなさい。
 
これが律法であり預言者です。」
 
 
 
このことばは,
 
あらゆる倫理的教訓の最高峰です,
 
「黄金律」と呼ばれています。
 
 
「律法であり預言者です」とは,
 
旧約聖書のことです。
 
 
イエス・キリストは,
 
わたしたちが神に求めるものは
 
何でも与えられると言われます。
 
 
そして,イエス・キリストは,
 
自分にしてもらいたいことは,
 
ほかの人にもそのように
 
しなさいと言われます。
 
 
 
 
 
 
天の御国に入る者
 
 
(マタイ7:13,14)
 
「狭い門から入りなさい。
 
滅びに至る門は大きく,
 
その道は広いからです。
 
そして,
 
そこから入って行く者が多いのです。
 
いのちに至る門は小さく。
 
その道は狭く,
 
それを見いだす者はまれです。」
 
 
 
 
 
 
岩の上に建てる
 
 
(マタイ7:24-27)
 
「だから,わたしのこれらのことばを
 
聞いてそれを行なう者はみな,
 
岩の上に自分の家を建てた
 
賢い人に比べることができます。
 
雨が降って洪水が押し寄せ,
 
風が吹いてその家に打ちつけたが,
 
それでも倒れませんでした。
 
岩の上に建てられていたからです。
 
また,わたしのこれらのことばを聞いて
 
それを行なわない者はみな,
 
砂の上に自分の家を建てた
 
愚かな人に比べることができます。
 
雨が降って洪水が押し寄せ,
 
風が吹いてその家に打ちつけると,
 
倒れてしまいました。
 
しかもそれはひどい倒れ方でした。」
 
 
 
イエス・キリストは,
 
山上の説教の終わりに話しました。
 
 
山上の説教を
 
実行しなさいと言うことです。
 
 
 
☆彡
 
 
 
「ガリラヤの風かおる丘で」
 
(新聖歌40番)
                                           
1.
ガリラヤの風かおる丘で 
人びとに話された
恵みの御言葉を 
わたしにも聞かせてください
 
 
2.
風の日波たける湖うみで 
弟子たちに諭さとされた
力の御言葉を 
わたしにも聞かせてください
 
3.
ゴルゴタの十字架の上で 
罪人を招かれた
救いの御言葉を 
わたしにも聞かせてください
 
4.
夕暮れのエマオへの道で 
弟子たちに告げられた
命の御言葉を 
わたしにも聞かせてください
 
 
2019-08-07
 
 
 
 
 
 
マタイ5-7章の山上の説教では,
 
弟子たちの生き方を示しています。
 
 
イエスへの信仰と
 
聖霊の働きによってでないと,
 
この生き方はできません。
 
 
 
 
 
 
御霊に導かれる,御霊の実
 
(ガラテヤ5:16-25)
「わたしは命じる,
御霊によって歩きなさい。
そうすれば,
決して肉の欲を満たすことはない。 
なぜなら,
肉の欲するところは御霊に反し,
また御霊の欲するところは
肉に反するからである。
こうして,
二つのものは互に相さからい,
その結果,
あなたがたは
自分でしようと思うことを,
することができないようになる。 
もしあなたがたが
御霊に導かれるなら,
律法の下にはいない。 
肉の働きは明白である。
すなわち,不品行,汚れ,好色, 
偶像礼拝,まじない,敵意,
争い,そねみ,怒り,
党派心,分裂,分派, 
ねたみ,泥酔,宴楽,
および,そのたぐいである。
わたしは以前も言ったように,
今も前もって言っておく。
このようなことを行う者は,
神の国をつぐことがない。 
しかし,御霊の実は,
愛,喜び,平和,
寛容,慈愛,善意,
忠実,柔和,自制であって,
これらを否定する律法はない。 
キリスト・イエスに属する者は,
自分の肉を,
その情と欲と共に
十字架につけてしまったのである。 
もしわたしたちが
御霊によって生きるのなら,
また御霊によって
進もうではないか。」
 
 
 
 
 
 
御霊の法則
 
(ローマ8:2-14)
「なぜなら,
キリスト・イエスにある
いのちの御霊の法則は,
罪と死との法則から
あなたを解放したからである。 
律法が肉により
無力になっているために
なし得なかった事を,
神はなし遂げて下さった。
すなわち,
御子を,罪の肉の様で
罪のためにつかわし,
肉において罪を
罰せられたのである。 
これは律法の要求が,
肉によらず霊によって歩く
わたしたちにおいて,
満たされるためである。
なぜなら,
肉に従う者は肉のことを思い,
霊に従う者は
霊のことを思うからである。 
肉の思いは死であるが,
霊の思いは,
いのちと平安とである。 
なぜなら,
肉の思いは神に敵するからである。
すなわち,
それは神の律法に従わず,
否,従い得ないのである。 
また,肉にある者は,
神を喜ばせることができない。 
しかし,神の御霊が
あなたがたの内に宿っているなら,
あなたがたは肉におるのではなく,
霊におるのである。
もし,キリストの霊を
持たない人がいるなら,
その人はキリストのものではない。 
もし,キリストが
あなたがたの内におられるなら,
からだは罪のゆえに死んでいても,
霊は義のゆえに生きているのである。 
もし,イエスを死人の中から
よみがえらせたかたの御霊が,
あなたがたの内に宿っているなら,
キリスト・イエスを死人の中から
よみがえらせたかたは,
あなたがたの内に宿っている
御霊によって,
あなたがたの死ぬべきからだをも,
生かしてくださるであろう。 
それゆえに,兄弟たちよ。
わたしたちは,
果すべき責任を負っている者であるが,
肉に従って生きる責任を
肉に対して負っているのではない。 
なぜなら,もし,肉に従って生きるなら,
あなたがたは死ぬ外はないからである。
しかし,
霊によってからだの働きを殺すなら,
あなたがたは生きるであろう。 
すべて神の御霊に導かれている者は,
すなわち,神の子である。」
 
 
 
2020-02-25