朝の光,夕べの雲

キリスト教,聖書の記事

2.神に自分を献げる (ローマ6:13)

(新しい生き方)


 信仰による新しい生き方は,

神に自分を献げることです。

 


(ローマ6:13)

 「あなたがたの手足を不義の器として

罪にささげてはいけません。

 むしろ,死者の中から生かされた者として,

 あなたがた自身とその手足を

義の器として神にささげなさい。」





イエスを信じた者は,

イエス・キリストに従がいます。

 

 (マタイ11:29)

「イエスは群衆を

弟子たちといっしょに呼び寄せて,

彼らに言われた。

『誰でもわたしに付いて来たいと思うなら,

自分を捨て,自分の十字架を負い,

そしてわたしについて来なさい。』」

 

 


イエスに従う


(マルコ8:34-38)

「イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて,

彼らに言われた。

『誰でもわたしに付いて来たいと思うなら,

自分を捨て,自分の十字架を負い,

そしてわたしについて来なさい。

いのちを救おうと思う者はそれを失い,

わたしと福音とのために

いのちを失う者はそれを救うのです。

人は,たとい全世界を得ても,

いのちを損じたら,何の得がありましょう。

自分のいのちを買い戻すために,

人はいったい何を差し出すことができるでしょう。

このような姦淫と罪の時代にあって,

わたしとわたしのことばを恥じるような者なら,

人の子も,

父の栄光を帯びて

聖なる御使いたちとともに来るときには,

そのような人のことを恥じます。』」

 

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☆彡

 

新しく歩む



(ローマ6:1-14)

「それでは,どういうことになりますか。

恵みが増し加わるために,

私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。

絶対にそんなことはありません。

罪に対して死んだ私たちが,

どうして,なおもその中に生きていられるでしょう。

それとも,あなたがたは知らないのですか。

キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな,

その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。

私たちは,キリストの死にあずかるバプテスマによって,

キリストとともに葬られたのです。

それは,キリストが御父の栄光によって

死者の中からよみがえられたように,

私たちも,

いのちにあって新しい歩みをするためです。」

もし私たちが,キリストにつぎ合わされて,

キリストの死と同じようになっているのなら,

必ずキリストの復活とも同じようになるからです。

私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは,

罪のからだが滅びて,

私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを,

私たちは知っています。

死んでしまった者は,罪から解放されているのです。

もし私たちがキリストとともに死んだのであれば,

キリストとともに生きることにもなる,

と信じます。

キリストは死者の中からよみがえって,

もはや死ぬことはなく,

死はもはやキリストを支配しないことを,

私たちは知っています。

なぜなら,キリストが死なれたのは,

ただ一度罪に対して死なれたのであり,

キリストが生きておられるのは,

神に対して生きておられるのだからです。

このように,あなたがたも,

自分は罪に対しては死んだ者であり,

神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと,

思いなさい。

ですから,あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて,

その情欲に従ってはいけません。

また,あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。

むしろ,死者の中から生かされた者として,

あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。

というのは,

罪はあなたがたを支配することがないからです。

なぜなら,あなたがたは律法の下にはなく,

恵みの下にあるからです。」

 

2011-03-09