○
神の恵み
(出33:19)
「主は仰せられた。
『わたし自身,
わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ,
主の名で,あなたの前に宣言しよう。
わたしは,恵もうと思う者を恵み,
あわれもうと思う者をあわれむ。』」
イエスを信じる者は,
神によって選ばれた者です。
イエス・キリストは,
「ぶどうの木」のたとえで
次のように言っています。
(ヨハネ15:16)
「あなたがたがわたしを
選んだのではありません。
わたしがあなたがたを選び,
あなたがたを任命したのです。
それは,あなたがたが行って実を結び,
そのあなたがたの実が残るためであり,
また,あなたがたがわたしの名によって
父に求めるものは何でも,
父があなたがたにお与えになるためです。」
○
(エペソ1:4)
「神は私たちを世界の基の置かれる前から
彼にあって選び,
御前で聖く,
傷のない者にしようとされました。」
神の祝福
(申命記15:18b)
「あなたの神,主は,
あなたのなすすべてのことにおいて,
あなたを祝福してくださる。」
神は,信じる者を祝福します。
その祝福は万事を益とするものです。
(ローマ8:28)
「神を愛する人々,すなわち,
神のご計画に従って
召された人々のためには,
神がすべてのことを働かせて
益としてくださることを,
私たちは知っています。」
いつくしみとめぐみ
(詩編23:1)
「主は私の羊飼い。
私は,乏しいことがありません。」
(詩編23:6)
「まことに,私のいのちの日の限り,
いつくしみと恵みとが,
私を追って来るでしょう。
私は,いつまでも,
主の家に住まいましょう。」
詩編23は,
詩編の中で最も愛されています。
ダビデが作ります。
(詩編23)
ダビデの賛歌
「主は私の羊飼い。
私は,乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ,
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ,
御名のために,私を義の道に導かれます。
たとい,死の陰の谷を歩くことがあっても,
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖,
それが私の慰めです。
私の敵の前で,
あなたは私のために食事をととのえ,
私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は,あふれています。
まことに,私のいのちの日の限り,
いつくしみと恵みとが,
私を追って来るでしょう。
私は,いつまでも,
主の家に住まいましょう。」
信じたようになる
(マタイ8:12)
「それから,
イエスは百人隊長に言われた。
『さあ行きなさい。
あなたの信じたとおりになるように。』
すると,ちょうどその時,
そのしもべはいやされた。」
神は私たちが
信じたようにしてくださるのが,
イエス・キリストの教えです。
○
(マタイ8:5-13)
イエスがカペナウムに入られると,
ひとりの百人隊長がみもとに来て,
懇願して,言った。
「主よ。私のしもべが中風で,
家に寝ていて,ひどく苦しんでいます。」
イエスは彼に言われた。
「行って,直してあげよう。」
しかし,百人隊長は答えて言った。
「主よ。
あなたを私の屋根の下にお入れする資格は,
私にはありません。
ただ,おことばを下さい。
そうすれば,私のしもべは直ります。
と申しますのは,
私も権威の下にある者ですが,
私自身の下にも兵士たちがいまして,
そのひとりに『行け』と言えば行きますし,
別の者に『来い』と言えば来ます。
また,しもべに『これをせよ』と言えば,
そのとおりにいたします。」
イエスは,これを聞いて驚かれ,
ついて来た人たちにこう言われた。
「まことに,あなたがたに告げます。
わたしはイスラエルのうちのだれにも,
このような信仰を見たことがありません。
あなたがたに言いますが,
たくさんの人が東からも西からも来て,
天の御国で,
アブラハム,イサク,ヤコブと
いっしょに食卓に着きます。
しかし,
御国の子らは外の暗やみに放り出され,
そこで泣いて歯ぎしりするのです。」
それから,イエスは百人隊長に言われた。
「さあ行きなさい。
あなたの信じたとおりになるように。」
すると,ちょうどその時,
そのしもべはいやされた。
「見ずに信じる者は幸いです。」
(ヨハネ20:29)
「イエスは彼に言われた。
『あなたはわたしを見たから
信じたのですか。
見ずに信じる者は幸いです。』」
わたしたちは,
目に見えないものを信じています。
神は霊ですから,見ることはできません。
わたしたちの信仰は,
自分の経験,世の知恵によりません。
(ヨハネ20:16-29)
「八日後に,弟子たちはまた室内におり,
トマスも彼らといっしょにいた。
戸が閉じられていたが,
イエスが来て,彼らの中に立って
『平安があなたがたにあるように』
と言われた。
それからトマスに言われた。
『あなたの指をここにつけて,
わたしの手を見なさい。
手を伸ばして,
わたしのわきに差し入れなさい。
信じない者にならないで,
信じる者になりなさい。』
トマスは答えてイエスに言った。
『私の主。私の神。』
イエスは彼に言われた。
『あなたはわたしを見たから信
じたのですか。
見ずに信じる者は幸いです。』
御霊の働き
(ヨハ3:5-8)
「イエスは答えられた。
『まことに,まことに,
あなたに告げます。
人は,水と御霊によって生まれなければ,
神の国に入ることができません。
肉によって生まれた者は肉です。
御霊によって生まれた者は霊です。
あなたがたは
新しく生まれなければならない,
とわたしが言ったことを
不思議に思ってはなりません。
風はその思いのままに吹き,
あなたはその音を聞くが,
それがどこから来て
どこへ行くかを知らない。
御霊によって生まれる者もみな,
そのとおりです。』」
神は,霊です。
霊のことは,霊によってわかります。
わたしたちは,
イエス・キリストを信じることによって,
新しく生まれます。
そして,
わたしたちのうちに聖霊を宿します。
聖霊によってわきまえる
(1コリント2:14)
「御霊のことは御霊によって
わきまえるものだからです。」
聖霊の働きは,
私たちの内にある聖霊によって
理解することができます。
神のこと,イエス・キリストのこと,
聖書のことは,
聖霊のはたらきによってでしか,
理解するができません。
(1コリント2:6-16)
「まさしく,
聖書に書いてあるとおりです。
『目が見たことのないもの,
耳が聞いたことのないもの,
そして,
人の心に思い浮かんだことのないもの。
神を愛する者のために,
神の備えてくださったものは,
みなそうである。』
神はこれを,
御霊によって私たちに啓示されたのです。
御霊はすべてのことを探り,
神の深みにまで及ばれるからです。
いったい,人の心のことは,
その人のうちにある霊のほかに,
だれが知っているでしょう。
同じように,神のみこころのことは,
神の御霊のほかにはだれも知りません。
ところで,私たちは,
この世の霊を受けたのではなく,
神の御霊を受けました。
それは,
恵みによって神から私たちに賜ったものを,
私たちが知るためです。
この賜物について話すには,
人の知恵に教えられたことばを用いず,
御霊に教えられたことばを用います。
その御霊のことばをもって
御霊のことを解くのです。
生まれながらの人間は,
神の御霊に属することを受け入れません。
それらは彼には愚かなことだからです。
また,それを悟ることができません。
なぜなら,御霊のことは
御霊によってわきまえるものだからです。
御霊を受けている人は,
すべてのことをわきまえますが,
自分はだれによっても
わきまえられません。
いったい,
『だれが主のみこころを知り,
主を導くことができたか。』
ところが,私たちには,
キリストの心があるのです。」
○
エリシャ,2つ分の霊を持つ
(列王下2:9)
「エリヤはエリシャに言った。
『わたしが
あなたのもとから取り去られる前に,
あなたのために何をしようか。
何なりと願いなさい。』
エリシャは,
『あなたの霊の二つの分をわたしに
受け継がせてください』と言った。」
エリシャは,エリヤから,
「あなたのために何をしようか」
と尋ねられます。
エリシャは,
「あなたの霊の二つの分を
わたしに受け継がせてください」
と言います。
エリシャはこの聖霊を
受けて活躍することができました。
神から与えられる視力
(列王下6:16,17)
「するとエリシャは,
『恐れてはならない。
わたしたちと共にいる者の方が,
彼らと共にいる者より多い』と言って,
主に祈り,
『主よ,彼の目を開いて
見えるようにしてください』と願った。
主が従者の目を開かれたので,
彼は火の馬と戦車がエリシャを囲んで
山に満ちているのを見た。」
霊の目が開かれたので,
「火の馬と戦車」を見ることができました。
霊のことは,
わたしたちの霊の目が開かれて初めて,
わかります。
エリヤはアハズヤを恐れた。
(2列王1:15)
「主の使いがエリヤに,
『彼といっしょに降りて行け。
彼を恐れてはならない』
と言ったので,エリヤは立って,
彼といっしょに
王のところに下って行き,」
主の使い(天使)は,
エリヤに「恐れてはならない」と言います。
同じように,イエス・キリストは,
わたしたちに
「恐れるな」と言われています。
(マタイ10:28,29)
「からだを殺しても,
たましいを殺せない人たちなどを
恐れてはなりません。
そんなものより,たましいもからだも,
ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を
恐れなさい。
二羽の雀は
一アサリオンで売っているでしょう。
しかし,そんな雀の一羽でも,
あなたがたの父のお許しなしには
地に落ちることはありません。」
聖書は有益である
(2コリント3:16)
「聖書は,
すべて神の霊感を受けて
書かれたものであって,
人を教え,戒め,正しくし,
義に導くのに有益である。」
解説書は,書いた人には,
ぴったりでしょう。
聖書は,
わたしたちにピッタリに書かれています。
私たちは,
聖書そのものを読む必要があります。
悪者の最後
(詩編73:1-3)
「まことに神は,イスラエルに,
心のきよい人たちに,いつくしみ深い。
しかし,私自身は,この足がたわみそうで,
私の歩みは,すべるばかりだった。
それは,私が誇り高ぶる者をねたみ,
悪者の栄えるのを見たからである。」
アサフの詩編の一つ。
アサフはダビデの歌の指導者。
悪しき者は,
繁栄しているように思われるが,
その終わりを見なさいと言うものである。
最後には,悪しきものは,滅びます。
神と共にいる者は,
栄光のうちに入れてくださるといいます。
(詩編73:23-28)
「しかし
私は絶えずあなたとともにいました。
あなたは私の右の手を
しっかりつかまえられました。
あなたは,私をさとして導き,
後には栄光のうちに
受け入れてくださいましょう。
天では,あなたのほかに,
だれを持つことができましょう。
地上では,
あなたのほかに私はだれをも望みません。
この身とこの心とは尽き果てましょう。
しかし神はとこしえに私の心の岩,
私の分の土地です。
それゆえ,見よ。
あなたから遠く離れている者は滅びます。
あなたはあなたに不誠実な者を
みな滅ぼされます。
しかし私にとっては,
神の近くにいることが,
しあわせなのです。
私は,神なる主を私の避け所とし,
あなたのすべてのみわざを
語り告げましょう。」
神に従う者
(箴言1:33)
「わたしに聞き従う者は,
安全に住まい,
わざわいを恐れることもなく,
安らかである。」
箴言は,ソロモンの失敗の教訓です。
箴言の教えの中心は,
「神に聞き従う」ことです。
弱さのうちに働く神
(2コリント12:9)
「主は,
『わたしの恵みは,
あなたに十分である。
というのは,わたしの力は,
弱さのうちに完全に現れるからである』
と言われたのです。
ですから,
私は,
キリストの力が私をおおうために,
むしろ大いに喜んで
私の弱さを誇りましょう。」
パウロは,
神は弱いところに働かれるといいます。
パウロは,
何でもできるかのように思われますが,
自分自身の弱さのうちに
神が働かれるといいます。
神は,
わたしたちの欠点のうちに働かれます。
わたしはぶどうの木
(ヨハネ15:5a)
「わたしはぶどうの木で,
あなたがたは枝です。」
短い聖書の言葉でも,わたしたちは,
恵みを受けることができます。
☆彡
(ヨハネ15:5)
「わたしはぶどうの木で,
あなたがたは枝です。
人がわたしにとどまり,
わたしもその人の中にとどまっているなら,
そういう人は多くの実を結びます。
わたしを離れては,
あなたがたは
何もすることができないからです。」
☆
「神は愛です。」
この短い言葉も,
わたしたちを変えることができます。
(1ヨハネ4:16)
「私たちは,
私たちに対する神の愛を知り,
また信じています。
神は愛です。
愛のうちにいる者は神のうちにおり,
神もその人のうちにおられます。」
アブラハム
(創世記18:1,2)
「主はマムレの樫の木のそばで,
アブラハムに現れた。
彼は日の暑いころ,
天幕の入口にすわっていた。
彼が目を上げて見ると,
三人の人が彼に向かって立っていた。
彼は,見るなり,
彼らを迎えるために
天幕の入口から走って行き,
地にひれ伏して礼をした。」
暑い真昼に,
天使はアブラハムに現れました。
暑いときは,思考が働かなくなりますが,
神はそのとき人の心を開いて,
神の言葉を伝えることがあります。
神は,わたしたちが思考をやめているときに
働くことがあるようです。
ヤコブのはしご,ヨセフの夢,
ペテロの異邦人の救いの夢などの
出来事があります。
(創世記18:1,2)(新改訳)
「主はマムレの樫の木のそばで,
アブラハムに現れた。
彼は日の暑いころ,
天幕の入口にすわっていた。
彼が目を上げて見ると,
三人の人が彼に向かって立っていた。
彼は,見るなり,
彼らを迎えるために
天幕の入口から走って行き,
地にひれ伏して礼をした。」
サマリヤ(スカル)の女
(ヨハネ4:6,7)
「そにはヤコブの井戸があった。
イエスは旅の疲れで,
井戸のかたわらに腰をおろしておられた。
時は第六時ごろであった。
ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。
イエスは
『わたしに水を飲ませてください』
と言われた。」
これも似た状況かもしれません。
イエスとの出会いには,
不思議なことがあります。
暑いときには,思考が働きませんが,
しかし。思考の働かないとき。
神が働かれることがあります。
このサマリヤの女の出来事も,
暑いときのようです。
主がともにいる
(マタイ28:20b)
「わたしは,世の終わりまで,
いつも,あなたがたとともにいます。」
私たちは,神の臨在を感じ,
神の導きを感じることができるのは,
神が私たちとともにいるからです。
(マタイ28:18-20)
「イエスは近づいて来て,
彼らにこう言われた。
『わたしには天においても,
地においても,
いっさいの権威が与えられています。
それゆえ,あなたがたは行って,
あらゆる国の人々を弟子としなさい。
そして,父,子,聖霊の御名によって
バプテスマを授け,
また,わたしがあなたがたに命じておいた
すべてのことを守るように,
彼らを教えなさい。
見よ。わたしは,世の終わりまで,
いつも,あなたがたとともにいます。』」
2018.1.21 ドトールにて