朝の光,夕べの雲

キリスト教,聖書の記事

「イエスとの出会」 W.K 兄

f:id:john3-16:20211208170045p:plain

 

 

 

 

 

 

神の恵み

 

(出33:19)

「主は仰せられた。

『わたし自身,

わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ,

主の名で,あなたの前に宣言しよう。

わたしは,恵もうと思う者を恵み,

あわれもうと思う者をあわれむ。』」

 

イエスを信じる者は,

神によって選ばれた者です。

 

イエス・キリストは,

「ぶどうの木」のたとえで

次のように言っています。

 

(ヨハネ15:16)

「あなたがたがわたしを

選んだのではありません。

わたしがあなたがたを選び,

あなたがたを任命したのです。

それは,あなたがたが行って実を結び,

そのあなたがたの実が残るためであり,

また,あなたがたがわたしの名によって

父に求めるものは何でも,

父があなたがたにお与えになるためです。」

 

 

(エペソ1:4)

「神は私たちを世界の基の置かれる前から

彼にあって選び,

御前で聖く,

傷のない者にしようとされました。」

 

 

 

 

 

神の祝福

 

(申命記15:18b)

「あなたの神,主は,

あなたのなすすべてのことにおいて,

あなたを祝福してくださる。」

 

神は,信じる者を祝福します。

その祝福は万事を益とするものです。

 

(ローマ8:28)

「神を愛する人々,すなわち,

神のご計画に従って

召された人々のためには,

神がすべてのことを働かせて

益としてくださることを,

私たちは知っています。」

 

 

 

 

 

 

いつくしみとめぐみ

 

(詩編23:1)

「主は私の羊飼い。

私は,乏しいことがありません。」

 

(詩編23:6)

「まことに,私のいのちの日の限り,

いつくしみと恵みとが,

私を追って来るでしょう。

私は,いつまでも,

主の家に住まいましょう。」

 

詩編23は,

詩編の中で最も愛されています。

 

ダビデが作ります。

 

(詩編23)

ダビデの賛歌

「主は私の羊飼い。

私は,乏しいことがありません。

主は私を緑の牧場に伏させ,

いこいの水のほとりに伴われます。

主は私のたましいを生き返らせ,

御名のために,私を義の道に導かれます。

たとい,死の陰の谷を歩くことがあっても,

私はわざわいを恐れません。

あなたが私とともにおられますから。

あなたのむちとあなたの杖,

それが私の慰めです。

私の敵の前で,

あなたは私のために食事をととのえ,

私の頭に油をそそいでくださいます。

私の杯は,あふれています。

まことに,私のいのちの日の限り,

いつくしみと恵みとが,

私を追って来るでしょう。

私は,いつまでも,

主の家に住まいましょう。」

 

 

 

 

 

 

信じたようになる

 

(マタイ8:12)

「それから,

イエスは百人隊長に言われた。

『さあ行きなさい。

あなたの信じたとおりになるように。』

すると,ちょうどその時,

そのしもべはいやされた。」

 

神は私たちが

信じたようにしてくださるのが,

イエス・キリストの教えです。

 

 

(マタイ8:5-13)

イエスがカペナウムに入られると,

ひとりの百人隊長がみもとに来て,

懇願して,言った。

「主よ。私のしもべが中風で,

家に寝ていて,ひどく苦しんでいます。」

イエスは彼に言われた。

「行って,直してあげよう。」

しかし,百人隊長は答えて言った。

「主よ。

あなたを私の屋根の下にお入れする資格は,

私にはありません。

ただ,おことばを下さい。

そうすれば,私のしもべは直ります。

と申しますのは,

私も権威の下にある者ですが,

私自身の下にも兵士たちがいまして,

そのひとりに『行け』と言えば行きますし,

別の者に『来い』と言えば来ます。

また,しもべに『これをせよ』と言えば,

そのとおりにいたします。」

イエスは,これを聞いて驚かれ,

ついて来た人たちにこう言われた。

「まことに,あなたがたに告げます。

わたしはイスラエルのうちのだれにも,

このような信仰を見たことがありません。

あなたがたに言いますが,

たくさんの人が東からも西からも来て,

天の御国で,

アブラハム,イサク,ヤコブと

いっしょに食卓に着きます。

しかし,

御国の子らは外の暗やみに放り出され,

そこで泣いて歯ぎしりするのです。」

それから,イエスは百人隊長に言われた。

「さあ行きなさい。

あなたの信じたとおりになるように。」

すると,ちょうどその時,

そのしもべはいやされた。

 

 

 

 

 

「見ずに信じる者は幸いです。」

 

(ヨハネ20:29)

 

「イエスは彼に言われた。

『あなたはわたしを見たから

信じたのですか。

見ずに信じる者は幸いです。』」

 

わたしたちは,

目に見えないものを信じています。

 

神は霊ですから,見ることはできません。

 

わたしたちの信仰は,

自分の経験,世の知恵によりません。

 

☆彡
 

(ヨハネ20:16-29)

「八日後に,弟子たちはまた室内におり,

トマスも彼らといっしょにいた。

戸が閉じられていたが,

イエスが来て,彼らの中に立って

『平安があなたがたにあるように』

と言われた。

それからトマスに言われた。

『あなたの指をここにつけて,

わたしの手を見なさい。

手を伸ばして,

わたしのわきに差し入れなさい。

信じない者にならないで,

信じる者になりなさい。』

トマスは答えてイエスに言った。

『私の主。私の神。』

イエスは彼に言われた。

『あなたはわたしを見たから信

じたのですか。

見ずに信じる者は幸いです。』

 

 

 

 

御霊の働き

 

(ヨハ3:5-8)

「イエスは答えられた。

『まことに,まことに,

あなたに告げます。

人は,水と御霊によって生まれなければ,

神の国に入ることができません。

肉によって生まれた者は肉です。

御霊によって生まれた者は霊です。

あなたがたは

新しく生まれなければならない,

とわたしが言ったことを

不思議に思ってはなりません。

風はその思いのままに吹き,

あなたはその音を聞くが,

それがどこから来て

どこへ行くかを知らない。

御霊によって生まれる者もみな,

そのとおりです。』」

 

神は,霊です。

 

霊のことは,霊によってわかります。

 

わたしたちは,

イエス・キリストを信じることによって,

新しく生まれます。

 

そして,

わたしたちのうちに聖霊を宿します。

 

 

 

 

 

 

聖霊によってわきまえる

 

(1コリント2:14)

「御霊のことは御霊によって

わきまえるものだからです。」

 

聖霊の働きは,

私たちの内にある聖霊によって

理解することができます。

 

神のこと,イエス・キリストのこと,

聖書のことは,

聖霊のはたらきによってでしか,

理解するができません。

 

(1コリント2:6-16)

「まさしく,

聖書に書いてあるとおりです。

『目が見たことのないもの,

耳が聞いたことのないもの,

そして,

人の心に思い浮かんだことのないもの。

神を愛する者のために,

神の備えてくださったものは,

みなそうである。』

神はこれを,

御霊によって私たちに啓示されたのです。

御霊はすべてのことを探り,

神の深みにまで及ばれるからです。

いったい,人の心のことは,

その人のうちにある霊のほかに,

だれが知っているでしょう。

同じように,神のみこころのことは,

神の御霊のほかにはだれも知りません。

ところで,私たちは,

この世の霊を受けたのではなく,

神の御霊を受けました。

それは,

恵みによって神から私たちに賜ったものを,

私たちが知るためです。

この賜物について話すには,

人の知恵に教えられたことばを用いず,

御霊に教えられたことばを用います。

その御霊のことばをもって

御霊のことを解くのです。

生まれながらの人間は,

神の御霊に属することを受け入れません。

それらは彼には愚かなことだからです。

また,それを悟ることができません。

なぜなら,御霊のことは

御霊によってわきまえるものだからです。

御霊を受けている人は,

すべてのことをわきまえますが,

自分はだれによっても

わきまえられません。

いったい,

『だれが主のみこころを知り,

主を導くことができたか。』

ところが,私たちには,

キリストの心があるのです。」

 

 

 

エリシャ,2つ分の霊を持つ

 

 (列王下2:9)

「エリヤはエリシャに言った。

『わたしが

あなたのもとから取り去られる前に,

あなたのために何をしようか。

何なりと願いなさい。』

エリシャは,

『あなたの霊の二つの分をわたしに

受け継がせてください』と言った。」

 

 

エリシャは,エリヤから,

「あなたのために何をしようか」

と尋ねられます。

 

エリシャは,

「あなたの霊の二つの分を

わたしに受け継がせてください」

と言います。

 

エリシャはこの聖霊を

受けて活躍することができました。

 

 

 

 

神から与えられる視力                                  

 

(列王下6:16,17)

「するとエリシャは,

『恐れてはならない。

わたしたちと共にいる者の方が,

彼らと共にいる者より多い』と言って,

主に祈り,

『主よ,彼の目を開いて

見えるようにしてください』と願った。

主が従者の目を開かれたので,

彼は火の馬と戦車がエリシャを囲んで

山に満ちているのを見た。」 

 

霊の目が開かれたので,

「火の馬と戦車」を見ることができました。

 

霊のことは,

わたしたちの霊の目が開かれて初めて,

わかります。

 

 

 

 

 

エリヤはアハズヤを恐れた。

 

(2列王1:15)

「主の使いがエリヤに,

『彼といっしょに降りて行け。

彼を恐れてはならない』

と言ったので,エリヤは立って,

彼といっしょに

王のところに下って行き,」

 

主の使い(天使)は,

エリヤに「恐れてはならない」と言います。

 

同じように,イエス・キリストは,

わたしたちに

「恐れるな」と言われています。

 

(マタイ10:28,29)

「からだを殺しても,

たましいを殺せない人たちなどを

恐れてはなりません。

そんなものより,たましいもからだも,

ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を

恐れなさい。

二羽の雀は

一アサリオンで売っているでしょう。

しかし,そんな雀の一羽でも,

あなたがたの父のお許しなしには

地に落ちることはありません。」

 

 

 

 

 

聖書は有益である

 

(2コリント3:16)

「聖書は,

すべて神の霊感を受けて

書かれたものであって,

人を教え,戒め,正しくし,

義に導くのに有益である。」

 

解説書は,書いた人には,

ぴったりでしょう。

 

聖書は,

わたしたちにピッタリに書かれています。

 

私たちは,

聖書そのものを読む必要があります。

 

 

 

 

悪者の最後 

 

(詩編73:1-3)

「まことに神は,イスラエルに,

心のきよい人たちに,いつくしみ深い。

しかし,私自身は,この足がたわみそうで,

私の歩みは,すべるばかりだった。

それは,私が誇り高ぶる者をねたみ,

悪者の栄えるのを見たからである。」

 

アサフの詩編の一つ。

アサフはダビデの歌の指導者。

 

悪しき者は,

繁栄しているように思われるが,

その終わりを見なさいと言うものである。

 

最後には,悪しきものは,滅びます。

 

神と共にいる者は,

栄光のうちに入れてくださるといいます。

 

(詩編73:23-28)

「しかし

私は絶えずあなたとともにいました。

あなたは私の右の手を

しっかりつかまえられました。

あなたは,私をさとして導き,

後には栄光のうちに

受け入れてくださいましょう。

天では,あなたのほかに,

だれを持つことができましょう。

地上では,

あなたのほかに私はだれをも望みません。

この身とこの心とは尽き果てましょう。

しかし神はとこしえに私の心の岩,

私の分の土地です。

それゆえ,見よ。

あなたから遠く離れている者は滅びます。

あなたはあなたに不誠実な者を

みな滅ぼされます。

しかし私にとっては,

神の近くにいることが,

しあわせなのです。

私は,神なる主を私の避け所とし,

あなたのすべてのみわざを

語り告げましょう。」

 

 

 

 

神に従う者

 

(箴言1:33)

「わたしに聞き従う者は,

安全に住まい,

わざわいを恐れることもなく,

安らかである。」

 

箴言は,ソロモンの失敗の教訓です。

箴言の教えの中心は,

「神に聞き従う」ことです。

 

 

 

 

弱さのうちに働く神

 

(2コリント12:9)

「主は,

『わたしの恵みは,

あなたに十分である。

というのは,わたしの力は,

弱さのうちに完全に現れるからである』

と言われたのです。

ですから,

私は,

キリストの力が私をおおうために,

むしろ大いに喜んで

私の弱さを誇りましょう。」

 

 

パウロは,

神は弱いところに働かれるといいます。

 

パウロは,

何でもできるかのように思われますが,

自分自身の弱さのうちに

神が働かれるといいます。

 

神は,

わたしたちの欠点のうちに働かれます。

 

 

 

 

 

 

わたしはぶどうの木

 

(ヨハネ15:5a

「わたしはぶどうの木で,

あなたがたは枝です。」

 

短い聖書の言葉でも,わたしたちは,

恵みを受けることができます。

 

☆彡 

 

(ヨハネ15:5)

「わたしはぶどうの木で,

あなたがたは枝です。

人がわたしにとどまり,

わたしもその人の中にとどまっているなら,

そういう人は多くの実を結びます。

わたしを離れては,

あなたがたは

何もすることができないからです。」

 

 

 

 

「神は愛です。」

 

この短い言葉も,

わたしたちを変えることができます。

 

 

(1ヨハネ4:16)

「私たちは,

私たちに対する神の愛を知り,

また信じています。

神は愛です。

愛のうちにいる者は神のうちにおり,

神もその人のうちにおられます。」

 

 

 

 

 

 

アブラハム

 

(創世記18:1,2)

「主はマムレの樫の木のそばで,

アブラハムに現れた。

彼は日の暑いころ,

天幕の入口にすわっていた。

彼が目を上げて見ると,

三人の人が彼に向かって立っていた。

彼は,見るなり,

彼らを迎えるために

天幕の入口から走って行き,

地にひれ伏して礼をした。」

 

暑い真昼に,

天使はアブラハムに現れました。

 

暑いときは,思考が働かなくなりますが,

神はそのとき人の心を開いて,

神の言葉を伝えることがあります。

 

神は,わたしたちが思考をやめているときに

働くことがあるようです。

 

ヤコブのはしご,ヨセフの夢,

ペテロの異邦人の救いの夢などの

出来事があります。

 

 

(創世記18:1,2)(新改訳)

「主はマムレの樫の木のそばで,

アブラハムに現れた。

彼は日の暑いころ,

天幕の入口にすわっていた。

彼が目を上げて見ると,

三人の人が彼に向かって立っていた。

彼は,見るなり,

彼らを迎えるために

天幕の入口から走って行き,

地にひれ伏して礼をした。」

 

 

 

 

サマリヤ(スカル)の女

 

(ヨハネ4:6,7)

「そにはヤコブの井戸があった。

イエスは旅の疲れで,

井戸のかたわらに腰をおろしておられた。

時は第六時ごろであった。

ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。

イエスは

『わたしに水を飲ませてください』

と言われた。」

 

 

これも似た状況かもしれません。

 

イエスとの出会いには,

不思議なことがあります。

 

暑いときには,思考が働きませんが,

しかし。思考の働かないとき。

 

神が働かれることがあります。

 

このサマリヤの女の出来事も,

暑いときのようです。

 

 

 

 

主がともにいる

 

(マタイ28:20b)

「わたしは,世の終わりまで,

いつも,あなたがたとともにいます。」

 

私たちは,神の臨在を感じ,

神の導きを感じることができるのは,

神が私たちとともにいるからです。

 

☆彡
 

(マタイ28:18-20)

「イエスは近づいて来て,

彼らにこう言われた。

『わたしには天においても,

地においても,

いっさいの権威が与えられています。

それゆえ,あなたがたは行って,

あらゆる国の人々を弟子としなさい。

そして,父,子,聖霊の御名によって

バプテスマを授け,

また,わたしがあなたがたに命じておいた

すべてのことを守るように,

彼らを教えなさい。

見よ。わたしは,世の終わりまで,

いつも,あなたがたとともにいます。』」

 

 

 

 

 

 

 

2018.1.21 ドトールにて