朝の光,夕べの雲

キリスト教,聖書の記事

マルコの福音書ほか (Y.K兄) 

 
マルコの福音書ほか
 
2021.8.31

 

 
 
 
聖霊をけがす者
 
 
(マルコ3:28,29)
 
「よく言い聞かせておくが,
人の子らには,
その犯すすべての罪も神をけがす言葉も,
ゆるされる。
しかし,聖霊をけがす者は,
いつまでもゆるされず,
永遠の罪に定められる」。
 
 
ここでの「人の子」は
 
人間一般を指しています。
 
 
律法学者のことば(マルコ3:22)に
 
対応しています。
 
律法学者に対する厳しい警告です。
 
 
(マルコ3:22)
「エルサレムから下ってきた
律法学者たちも,
『彼はベルゼブルにとりつかれている』
と言い,
『悪霊どものかしらによって,
悪霊どもを追い出しているのだ』
とも言った。」
 
 
イエス・キリストは,
 
律法学者たちが,
 
イエス・キリストと聖霊を
 
汚し続けていることを赦しませんでした。
 
 
 
「犯すすべての罪も神をけがす言葉」も
 
悔い改めるなら赦されます。
 
 
 
 
 
 
悪霊に勝つ
 
(マルコ5:3-5)
 
「この人は墓場をすみかとしており,
もはやだれも,
鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。
彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが,
鎖を引きちぎり,足かせを砕くので,
だれも彼を押えつけることが
できなかったからである。
そして,
夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて,
石で自分のからだを傷つけていた。」
 
 
イエス・キリストは
 
悪霊に取りつかれている人を癒します。
 
 
(マルコ5:8)
「それは,イエスが,
『けがれた霊よ,この人から出て行け』
と言われたからである。
イエスは悪く霊に取り憑かれている人を
癒しました。」
 
 
(マルコ5:15)
「そして,イエスのところにきて,
悪霊につかれた人が着物を着て,
正気になってすわっており,
それがレギオンを宿していた者で
あるのを見て,恐れた。」
 
 
イエスの働きは,福音を宣べ伝えること,
 
病人と悪霊につかれている人を
 
いやすことでした。
 
 
 
 
(マルコ1:14,15)
 
「ヨハネが捕えられた後,
イエスはガリラヤに行き,
神の福音を宣べ伝えて言われた,
『時は満ちた,神の国は近づいた。
悔い改めて福音を信ぜよ。』」
 
 
ガリラヤでは福音を宣べました。
 
そして,病人,
 
悪霊に憑かれた人を癒しました。
 
 
(マルコ1:30-33)
 
「ところが,シモンのしゅうとめが
熱病で床についていたので,
人々はさっそく,
そのことをイエスに知らせた。
イエスは近寄り,
その手をとって起されると,
熱が引き,女は彼らをもてなした。
夕暮になり日が沈むと,
人々は病人や悪霊につかれた者をみな,
イエスのところに連れてきた。
こうして,
町中の者が戸口に集まった。」
 
 
 
 
 
 
深く憐れむ
 
 
(マルコ6:34)
 
「イエスは舟から上がって
大ぜいの群衆をごらんになり,
飼う者のない羊のような
その有様を深くあわれんで,
いろいろと教えはじめられた。」
 
 
羊は温厚な動物で,
 
多くの世話を必要とします。
 
羊は羊飼いの声を覚え,
 
呼ばれるとついて行きます。
 
 
イエス・キリストは,
 
群衆を「深くあわれみ」,
 
この時はパンで空腹を満たします。
 
 
イエスの「深いあわれみ」により
 
ご自身が十字架 にかかり
 
人々の罪を解放しました。
 
 
 
 
 
 
イエス・キリストは
 
次のように言いました。
 
 
(ヨハネ9:14,15)
 
「わたしはよい羊飼であって,
わたしの羊を知り,
わたしの羊はまた,
わたしを知っている。
それはちょうど,
父がわたしを知っておられ,
わたしが父を知っているのと同じである。
そして,
わたしは羊のために命を捨てるのである。」
 
 
イエス・キリストは,
 
群衆を「深い憐れみ」,
 
彼らの必要に応え彼らを教えられ,
 
悪霊を追い出し病気をいやしました。
 
 
自ら進んで群衆の中に身を投じ,
 
彼らの必要に答えました。 
 
 
 
 
 
 
人をけがすもの
 
(マルコ7:15)
 
「すべて外から人の中にはいって,
人をけがしうるものはない。
かえって,人の中から出てくるものが,
人をけがすのである。」
 
 
人の中から出てくるものが
 
人を汚すのです。
 
 
ユダヤ人たちは,
 
触れたもの,食べるものによって,
 
けがれたものとなると考えていました。
 
 
(マルコ7:20-23)
 
「さらに言われた,
『人から出て来るもの,
それが人をけがすのである。
すなわち内部から,
人の心の中から,
悪い思いが出て来る。
不品行,盗み,殺人,姦淫,
貪欲,邪悪,欺き,好色,
妬み,誹り,高慢,愚痴。
これらの悪はすべて内部から出てきて,
人をけがすのである。』」
 
 
当時のユダヤ人は清めの問題を
 
主としてレビ記の規定や
 
ユダヤ教の伝承に基づいて考えていました。
 
(使徒10:9-16)
 
 
イエスは外から入ってくるものは
 
何一つ人を汚さないことを宣言されました。
 
 
イエスは人の内から出てくる
 
汚れた思いと言葉が
 
人を汚すといいます。
 
 
 
☆彡
 
 
 
(マルコ7:14-23口語訳)
 
「イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた,
「あなたがたはみんな,
わたしの言うことを聞いて悟るがよい。
すべて外から人の中にはいって,
人をけがしうるものはない。
かえって,人の中から出てくるものが,
人をけがすのである。
〔聞く耳のある者は聞くがよい〕」。
イエスが群衆を離れて家にはいられると,
弟子たちはこの譬について尋ねた。
すると,言われた,
「あなたがたも,
そんなに鈍いのか。
すべて,
外から人の中にはいって来るものは,
人を汚し得ないことが,
わからないのか。
それは人の心の中にはいるのではなく,
腹の中にはいり,
そして,外に出て行くだけである」。
イエスはこのように,
どんな食物でもきよいものとされた。
さらに言われた,
「人から出て来るもの,
それが人をけがすのである。
すなわち内部から,人の心の中から,
悪い思いが出て来る。
不品行,盗み,殺人,姦淫,
貪欲,邪悪,欺き,好色,
妬み,誹り,高慢,愚痴。
これらの悪はすべて内部から出てきて,
人をけがすのである。」
 
 
 
 
 
 
パウロはガラテヤ人の手紙で
 
次のように言っています。
 
 
(ガラテヤ5:19-22口語訳)
 
「肉の働きは明白である。
すなわち,不品行,汚れ,好色,
偶像礼拝,まじない,敵意,争い,
そねみ,怒り,党派心,分裂,分派,
ねたみ,泥酔,宴楽,
および,そのたぐいである。
わたしは以前も言ったように,
今も前もって言っておく。
このようなことを行う者は,
神の国をつぐことがない。
しかし,御霊の実は,愛,喜び,平和,
寛容,慈愛,善意,忠実,
柔和,自制であって,
これらを否定する律法はない。」
 
 
良いものは聖霊の実です。
 
 
 
 
 
 
尊い先生
 
(マルコ10:18新改訳)
 
イエスは彼に言われた。
「なぜ,わたしを『尊い』と言うのですか。
尊い方は,神おひとりのほかには,
だれもありません。」
 
 
この青年は,
 
イエスを「尊い」と言いいましたが,
 
イエスを救い主,
 
神として認めていませんでした。
 
 
イエス・キリストを神として,
 
「尊い」と認め信じることによって,
 
私たちは永遠 の命を受けます。
 
 
「尊い」方は,神だけです。
 
 
イエスを神と受け入れる人だけが
 
永遠の命を受けます。
 
 
☆彡
 
 
(マルコ10:17,18新改訳)
 
イエスが道に出て行かれると,
ひとりの人が走り寄って,
御前にひざまずいて,尋ねた。
「尊い先生。
永遠のいのちを自分のものとして
受けるためには,
私は何をしたらよいでしょうか。」
イエスは彼に言われた。
「なぜ,
わたしを『尊い』と言うのですか。
尊い方は,神おひとりのほかには,
だれもありません。
 
 
 
 
 
 
復活
 
(マルコ16:8)
 
「女たちはおののき恐れながら,
墓から出て逃げ去った。
そして,人には何も言わなかった。
恐ろしかったからである。」
 
 
この女たちは,天使から
 
イエスはよみがえられたと聞いて
 
大きなショックを受けます。
 
 
そのため,
 
しばらく口を聞けませんでした。
 
 
☆彡
 
 
(マルコ16:1-8口語訳)
 
「さて,安息日が終ったので,
マグダラのマリヤと
ヤコブの母マリヤとサロメとが,
行ってイエスに塗るために,
香料を買い求めた。
そして週の初めの日に,
早朝,日の出のころ墓に行った。
そして,彼らは
「だれが,わたしたちのために,
墓の入口から
石をころがしてくれるのでしょうか」
と話し合っていた。
ところが,目をあげて見ると,
石はすでにころがしてあった。
この石は非常に大きかった。
墓の中にはいると,
右手に真白な長い衣を着た若者が
すわっているのを見て,
非常に驚いた。
するとこの若者は言った,
「驚くことはない。
あなたがたは十字架につけられた
ナザレ人イエスを捜しているのであろうが,
イエスはよみがえって,
ここにはおられない。
ごらんなさい,
ここがお納めした場所である。
今から弟子たちとペテロとの所へ行って,
こう伝えなさい。
イエスはあなたがたより先に
ガリラヤへ行かれる。
かねて,あなたがたに言われたとおり,
そこでお会いできるであろう,と。」
女たちはおののき恐れながら,
墓から出て逃げ去った。
そして,人には何も言わなかった。
恐ろしかったからである。
 
 
 
 
その後,女たちは弟子たちに
 
イエス・キリストの復活を話します。
 
 
(マルコ16:9-11)
 
〔週の初めの日の朝早く,
イエスはよみがえって,
まずマグダラのマリヤに
御自身をあらわされた。
イエスは以前に,
この女から七つの悪霊を
追い出されたことがある。
マリヤは,
イエスと一緒にいた人々が
泣き悲しんでいる所に行って,
それを知らせた。
彼らは,イエスが生きておられる事と,
彼女に御自身をあらわされた事とを
聞いたが,
信じなかった。〕
 
 
 
 
(マタイ28:9,10)
 
すると,イエスは彼らに出会って,
「平安あれ」と言われたので,
彼らは
近寄りイエスのみ足をいだいて拝した。
そのとき,イエスは彼らに言われた,
「恐れることはない。
行って兄弟たちに,ガリラヤに行け,
そこでわたしに会えるであろう,
と告げなさい。」
 
 
その後,弟子たちはガリラヤに行って,
 
復活のイエスに会います。
 
 
(ヨハネ21:1-14)
 
 
 
 
 
 
 
 
異邦人の救い
 
(ローマ 2:14-16)
 
「そのわけは,律法なしに罪を犯した者は,
また律法なしに滅び,
律法のもとで罪を犯した者は,
律法によってさばかれる。
なぜなら,律法を聞く者が,
神の前に義なるものではなく,
律法を行う者が,義とされるからである。
すなわち,律法を持たない異邦人が,
自然のままで,律法の命じる事を行うなら,
たとい律法を持たなくても,
彼らにとっては自分自身が律法なのである。
彼らは律法の要求が
その心にしるされていることを現し,
そのことを彼らの良心も共にあかしをして,
その判断が互にあるいは訴え,
あるいは弁明し合うのである。
そして,これらのことは,
わたしの福音によれば,
神がキリスト・イエスによって
人々の隠れた事がらをさばかれるその日に,
明らかにされるであろう。」
 
 
パウロは,
 
異邦人による救いについ述べています。
 
 
異邦人はユダヤ人のように律法が
 
与えられてませんが,
 
良心としての律法が
 
与えられているといいます。
 
 
自分自身が律法となっているのです。
 
 
異邦人も
 
律法をすべてなすことができないので,
 
やはり福音が必要です。
 
 
パウロは,異邦人の救いは,
 
最後のさばきのときに
 
明らかにされるといいます。
 
 
 
 
 
 
 
 
すべての真実を心にとめなさい
 
(ピリピ4:8)
 
「最後に,兄弟たちよ。
すべて真実なこと,
すべて尊ぶべきこと,
すべて正しいこと,
すべて純真なこと,
すべて愛すべきこと,
すべてほまれあること,
また徳といわれるもの,
称賛に値するものがあれば,
それらのものを心にとめなさい。」
 
 
パウロの手紙は,
 
前半にキリストによる救い,
 
後半に実践が述べられていることが
 
多いようです。
 
 
ピリピの手紙は
 
前半に救いが宣べてあります。
 
 
(ピリピ3:9 信仰による救い)
 
「律法による自分の義ではなく,
キリストを信じる信仰による義,
すなわち,信仰に基く神からの義を受けて,
キリストのうちに
自分を見いだすようになるためである。」
 
 
この箇所(ピリピ4:8)では,
 
信仰の実践が宣べられています。
 
 
 
 
 
 
 
 
完全な賜物
 
(ヤコブ1:17)
 
「あらゆる良い贈り物,
あらゆる完全な賜物は,
上から,光の父から下って来る。
父には,
変化とか回転の影とかいうものはない。」
 
 
イエス・キリストは十字架にかけられ,
 
わたしたちを罪から救い,
 
神ご自身が「永遠のいのち」(12)
 
与えてくださいました。
 
 
父なる神,
 
天にいるイエス・キリストから
 
信じる者に
 
「被造物の初穂」(18)として,
 
「完全な賜物」(17)を,
 
聖霊によって与えます。
 
 
(コロサイ3:1-  )
 
 
☆彡
 
 
(ヤコブ1:17,18口語訳)
 
「あらゆる良い贈り物,
あらゆる完全な賜物は,
上から,光の父から下って来る。
父には,
変化とか回転の影とかいうものはない。
父は,わたしたちを,
いわば被造物の初穂とするために,
真理の言葉によって御旨のままに,
生み出して下さったのである。」
 
 
 
Y.K  2021.8.31