朝の光,夕べの雲

キリスト教,聖書の記事

聖書の言葉 (驚き,ユーモア,笑い)

 

聖書の言葉 (驚き,ユーモア,笑い)


聖書の話しは,驚きがあります。

そこには,詩があり,物語があり,

歴史があり,教訓があり,

救いがあります。

当たり前の話し,そうでない話。

当たり前なことが,当たり前でない時,

そこに神さまが働いているのでは

ないないでしょうか。

そこには,笑があります。



 




「たとえで話す」



(マタイ13:10,13)

「すると,弟子たちが近寄って来て,

イエスに言った。

『なぜ,
彼らに

たとえでお話しになったのですか。』



わたしが彼らにたとえで話すのは,

彼らは見てはいるが見ず,

聞いてはいるが聞かず,

また,悟ることもしないからです。」


 


イエス・キリストの話は,

 

イエス・キリストを信じない者には


理解できないことを,

イエス・キリスト御自身がました。








創造


(ヨブ38:1-5)


「主はあらしの中から

ヨブに答えて仰せられた。

知識もなく言い分を述べて,

摂理を暗くするこの者はだれか。

さあ,

あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。

わたしはあなたに尋ねる。

わたしに示せ。

わたしが地の基を定めたとき,

あなたはどこにいたのか。

あなたに悟ることができるなら,

告げてみよ。

あなたは知っているか。

だれがその大きさを定め,

だれが測りなわをその上に張ったかを。」



ヨブは神を信じていた,正しい人でした。

試練のなかで,迷いが出てきます。

創造の神に出会ったとき,ヨブは驚きます。


ヨブにとって,

神に会うことは驚きでした。

だれにとっても,

神に会うことは驚きです。





 






(ルカ5:8,9)

「これを見たシモン・ペテロは,

イエスの足もとにひれ伏して,

『主よ。

私のような者から離れてください。

私は,罪深い人間ですから。』

と言った。

それは,大漁のため,

彼もいっしょにいたみなの者も,

ひどく驚いたからである。」



ペテロは漁師でした。


このとき,イエスはペテロより

はるかに優れた漁師となりました。


ペテロはイエスと出会い,

イエスが神の子であり,

自分の罪を知りました。








湖の上を歩くペテロ



正直に言って,

ペテロはオッチョコチョイでした。

神は,そのペテロを用いました。

イエスの業を引き継ぐ者とされました。

イエス・キリストが奇跡を行なうと,

そこにいやしが行なわれ,

戸惑いが生じ,そして笑があります。



(マタイ14:29-33)


「イエスは『来なさい。』と言われた。

そこで,ペテロは舟から出て,

水の上を歩いてイエスのほうに行った。

ところが,風を見て,こわくなり,

沈みかけたので叫び出し,

『主よ。助けてください。』と言った。

そこで,イエスはすぐに手を伸ばして,

彼をつかんで言われた。

『信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。』

そして,ふたりが舟に乗り移ると,

風がやんだ。

そこで,舟の中にいた者たちは,

イエスを拝んで,

『確かにあなたは神の子です。』

と言った。」






イエスの降誕

 


(ルカ1:28,29)


「御使いは,はいって来ると,

マリヤに言った。

『おめでとう,恵まれた方。

主があなたとともにおられます。』

しかし,マリヤはこのことばに,

ひどくとまどって,

これはいったい何のあいさつかと

考え込んだ。」




マリヤの驚きは大変なものでした。


この驚きは,喜びとなります。


これは,起こりえない

笑うべき話かもしれません。


人は起こり得ないことが起きると,

「そんなばかな」と

笑うのではないでしょうか。

 

アブラハムの妻のサラは笑いました。




(ルカ1:26-38)

「ところで,その六か月目に,

御使いガブリエルが,

神から遣わされて

ガリラヤのナザレという町の

ひとりの処女のところに来た。

この処女は,

ダビデの家系のヨセフという人の

いいなずけで,

名をマリヤといった。

御使いは,はいって来ると,

マリヤに言った。

『おめでとう,恵まれた方。

主があなたとともにおられます。』

しかし,マリヤはこのことばに,

ひどくとまどって,

これはいったい

何のあいさつかと考え込んだ。」

すると御使いが言った。

『怖がることはない。マリヤ。

あなたは神から恵みを受けたのです。

ご覧なさい。

あなたはみごもって,

男の子を産みます。

名をイエスとつけなさい。

その子はすぐれた者となり,

いと高き方の子と呼ばれます。

また,神である主は

彼にその父ダビデの王位を

お与えになります。

彼はとこしえにヤコブの家を治め,

その国は終わることがありません。」

そこで,マリヤは御使いに言った。

『どうして

そのようなことになりえましょう。

私はまだ男の人を知りませんのに。』

御使いは答えて言った。

『聖霊があなたの上に臨み,

いと高き方の力があなたをおおいます。

それゆえ,生まれる者は,聖なる者,

神の子と呼ばれます。

ご覧なさい。

あなたの親類のエリサベツも,

あの年になって男の子を宿しています。

不妊の女といわれていた人なのに,

今はもう六か月です。

神にとって不可能なことは

一つもありません。』

マリヤは言った。

『本当に,私は主のはしためです。

どうぞ,あなたのおことばどおり

この身になりますように。』

効して御使いは彼女から去って行った。

マリヤはこのあと

次ぎのような讃美をします。」

 


(ルカ1:46-48)

「マリヤは言った。

『わが魂は主をあがめ,

わが霊は,

わが救い主なる神を喜びたたえます。

主はこの卑しいはしために

目を留めてくださったからです。

ほんとうに,これから後,

どの時代の人々も,

私をしあわせ者と思うでしょう。』」









イエスの愛が,ラザロにあらわれます。


イエス・キリストはラザロの死を聞いて,

涙を流されました。

奇蹟が起きるまでは,

人々は,イエスを心の中で笑っていたでしょう。


(ヨハネ11:28-37)


(マルタは)

「こう言ってから,帰って行って,

姉妹マリヤを呼び,

『先生が見えています。

あなたを呼んでおられます。』

とそっと言った。

マリヤはそれを聞くと,

すぐ立ち上がって,

イエスのところに行った。

さてイエスは,まだ村にはいらないで,

マルタが出迎えた場所におられた。

マリヤとともに家にいて,

彼女を慰めていたユダヤ人たちは,

マリヤが急いで立ち上がって

出て行くのを見て,

マリヤが

墓に泣きに行くのだろうと思い,

彼女について行った。

マリヤは,イエスのおられた所に来て,

お目にかかると,

その足もとにひれ伏して言った。

『主よ。もしここにいてくださったなら,

私の兄弟は死ななかったでしょうに。』

そこでイエスは,彼女が泣き,

彼女といっしょに来たユダヤ人たちも

泣いているのをご覧になると,

霊の憤りを覚え,心の動揺を感じて,

言われた。

『彼を何処に置きましたか。』

彼らはイエスに言った。

『主よ。来てご覧ください。』

イエスは涙を流された。

そこで,ユダヤ人たちは言った。

『ご覧なさい。

主はどんなに彼を

愛しておられたことか。』

しかし,

『盲人の目をあけたこの方が,

あの人を死なせないでおくことは

できなかったのか。』

と言う者もいた。」


 

 

(ヨハネ11:43,44)
 
「(イエス・キリストは)大声で
 
『ラザロよ,出てきなさい』
 
と呼ばわれた。 
 
すると,死人は手足を布でまかれ,
 
顔も顔おおいで包まれたまま,
 
出てきた。
 
イエスは人々に言われた,
 
『彼をほどいてやって,
 
帰らせなさい』」。

 






十字架上の二人の犯罪人


(ルカ23:39-43)


「十字架にかけられていた

犯罪人のひとりは

イエスに悪口を言い,

『あなたはキリストではないか。

自分と私たちを救え。』と言った。

ところが,もうひとりのほうが答えて,

彼をたしなめて言った。

『お前は神をも恐れないのか。

おまえも同じ刑罰を

受けているではないか。

われわれは,

自分のしたことの報いを

受けているのだからあたりまえだ。

だがこの方は,

悪いことは何もしなかったのだ。』

そして言った。

『イエスさま。

あなたの御国の位に

お着きになるときには,

私を思い出してください。』

イエスは,彼に言われた。

『まことに,あなたに告げます。

あなたはきょう,

わたしとともに

パラダイスにいます。』」



「犯罪人のひとり」は,

イエスが愚かな人(ばか)に見えたでしょう。


「もうひとりのほう」の犯罪人にとって,

イエスは驚きであったのです。


そして,安堵に代わったであろう。


イエス・キリストの十字架の

業の意味を知った,

初めての者であったかもしれません。


イエスのことばに

わたしたちの救いもあります。

ここには,わたしたちの喜びがあります。







埋葬


(ヨハネ19:38-42)


「そのあとで,

イエスの弟子ではあったが

ユダヤ人を恐れて

そのことを隠していた

アリマタヤのヨセフが,

イエスのからだを取りかたづけたいと

ピラトに願った。

それで,ピラトは許可を与えた。

そこで彼は来て,

イエスのからだを取り降ろした。

前に,

夜イエスのところに来たニコデモも,

没薬とアロエを混ぜ合わせたものを

およそ三十キログラムばかり持って,

やって来た。

そこで,彼らはイエスのからだを取り,

ユダヤ人の埋葬の習慣に従って,

それを香料といっしょに

亜麻布で巻いた。

イエスが十字架につけられた場所に

園があって,

そこには,

まだだれも葬られたことのない

新しい墓があった。

その日が

ユダヤ人の備え日であったため,

墓が近かったので,

彼らはイエスをそこに納めた。」




イエス・キリストが埋葬されるとき,

ヨセフ,ニコデモ,マグダラのマリヤの3人が

いたことは驚きでした。


この人たち一人一人は,

いわゆる主流派ではありませんでした。


12人の弟子ではありませんでした。


ヨセフが,イエス・キリストの遺体を

埋葬したことは,次の通りです。



(マタイ27:57―66)

夕方になって,

アリマタヤの金持ちで

ヨセフという人が来た。

彼もイエスの弟子になっていた。

この人はピラトのところに行って,

イエスのからだの下げ渡しを願った。

そこで,ピラトは,渡すように命じた。

ヨセフはそれを取り降ろして,

きれいな亜麻布に包み,

岩を掘って造った自分の

新しい墓に納めた。

墓の入口には大きな石を

ころがしかけて帰った。

そこにはマグダラのマリヤと

ほかのマリヤとが

墓のほうを向いてすわっていた。

さて,次の日,すなわち

備えの日の翌日,祭司長,

パリサイ人たちは

ピラトのところに集まって,

こう言った。

「閣下。あの,

人をだます男がまだ生きていたとき,

『自分は三日の後によみがえる。』

と言っていたのを思い出しました。

ですから,三日目まで墓の番を

するように命じてください。

そうでないと,弟子たちが来て,

彼を盗み出して,

『死人の中からよみがえった。』と

民衆に言うかもしれません。

そうなると,この惑わしのほうが,

前のばあいより,

もっとひどいことになります。」

ピラトは「番兵を出してやるから,

行ってできるだけの番をさせるがよい。」

と彼らに言った。

そこで,彼らは行って,

石に封印をし,番兵が墓の番をした。







復活



トマスの驚き


イエス・キリストの復活に

一番驚いたのは,トマスでした。


このセリフは,歌舞伎のようです。



シェークスピアを越えているでしょう。


イエス・キリストは弟子のトマスに,

手の釘によって開けられた穴には指を,

槍で刺された脇の穴には

手を入れなさいと言います。



(ヨハネ20:26-29)

「八日後に,

弟子たちはまた室内におり,

トマスも彼らといっしょにいた。

戸が閉じられていたが,

イエスが来て,彼らの中に立って

『平安があなた方にあるように。』

と言われた。

それからトマスに言われた。

『あなたの指をここにつけて,

わたしの手を見なさい。

手を伸ばして,

わたしのわきに差し入れなさい。

信じない者にならないで,

信じる者になりなさい。』

トマスは答えてイエスに言った。

『私の主。私の神。』

イエスは彼に言われた。

『あなたは

私を見たから信じたのですか。

見ずに信じる者は幸いです。』」










復活のイエスに出会ったとき,

ペテロは海に飛び込みました。


なんで,ここで海に飛び込むのでしょう。


いまの精神の世界では,

ペテロはどこかに障害が

あるといわれるでしょう。


(ヨハネ21:4-7)

「夜が明けそめたとき,

イエスは岸べに立たれた。

けれども弟子たちには,

それがイエスであることが

わからなかった。

イエスは彼らに言われた。

『子ども達よ。

食べる物がありませんね。』

彼らは答えた。

『はい。ありません。』

イエスは彼らに言われた。

『舟の右側に網をおろしなさい。

そうすれば,とれます。』

そこで,彼らは網をおろした。

すると,おびただしい魚のために,

網を引き上げることができなかった。

そこで,イエスの愛された

あの弟子がペテロに言った。

『主です。』すると,

シモン・ペテロは,主であると聞いて,

裸だったので,

上着をまとって,湖に飛び込んだ。」








 


聖霊



(ヨハネ3:1-8)

「さて,パリサイ人の中に

ニコデモという人がいた。

ユダヤ人の指導者であった。

この人が,夜,

イエスのもとに来て言った。

『先生。私たちは,

あなたが神のもとから来られた

教師であることを知っています。

神がともにおられるのでなければ,

あなたがなさるこのようなしるしは,

だれも行なうことができません。』

イエスは答えて言われた。

『まことに,まことに,

あなたに告げます。

人は,新しく生まれなければ,

神の国を見ることはできません。』

ニコデモは言った。

『人は,老年になっていて,

どのようにして

生まれることができるのですか。

もう一度,母の胎にはいって

生まれることができましょうか。』

イエスは答えられた。

『まことに,まことに,

あなたに告げます。

人は,

水と御霊によって生まれなければ,

神の国にはいることができません。

肉によって生まれた者は肉です。

御霊によって生まれた者は霊です。

あなたがたは

新しく生まれなければならない,

とわたしが言ったことを

不思議に思ってはなりません。

風はその思いのままに吹き,

あなたはその音を聞くが,

それがどこから来て

どこへ行くかを知らない。

御霊によって生まれる者もみな,

そのとおりです。』」




イエス・キリストが

ニコデモに話したものです。


新しく生きる,風,なんのことでしょう。


聖霊を風にたとえるのは,

あいまいであるので,

学者には受けないでしょう。


この風の話は,

わたしたちに聖霊が降って,

初めてわかるのでしょう。








聖霊降る

 


(使徒行伝2:12,13)


「人々はみな,驚き惑って,

互いに

『一体これはどうしたことか。』

と言った。

しかし,他に

『彼らは甘いぶどう酒に

酔っているのだ。』

と言ってあざける者たちもいた。」




(使徒行伝2:41)

「そこで,彼のことばを受け入れた者は,

バプテスマを受けた。

その日,

三千人ほどが弟子に加えられた。」



この話は,ペンテコステ派の土台でしょうが,

そのまますべてを受け入れたくない

個所でもあるかもしれません。


しかし,神は,わたしたちには驚きとして,

顕(あらわ)れてくださいます。








罪の赦し




(ローマ6:6-11)


「私たちの古い人が

キリストとともに

十字架につけられたのは,

罪のからだが滅びて,

私たちがもはやこれからは

罪の奴隷でなくなるためであることを,

私たちは知っています。

死んでしまった者は,

罪から解放されているのです。

もし私たちがキリストとともに

死んだのであれば,

キリストとともに生きることにもなる,

と信じます。

キリストは死者の中からよみがえって,

もはや死ぬことはなく,

死はもはやキリストを支配しないことを,

私たちは知っています。

なぜなら,キリストが死なれたのは,

ただ一度罪に対して死なれたのであり,

キリストが生きておられるのは,

神に対して生きておられるのだからです。

このように,あなたがたも,

自分は罪に対しては死んだ者であり,

神に対してはキリスト・イエスにあって

生きた者だと,

思いなさい。」



自分に死にキリストに生きるとは,

イエスを信じるということと同じです。


しかし,イエスを信じない

宗教学者,神学者には,

全く理解できない言葉です。

 


信じない人が言った解説は,

信じる者が聞くと,

心の中では大笑いです。








身体のよみがえり


(1コリント15:42-44)


「死者の復活もこれと同じです。

朽ちるもので蒔かれ,

朽ちないものによみがえらされ,

卑しいもので蒔かれ,

栄光あるものによみがえらされ,

弱いもので蒔かれ,

強いものによみがえらされ,

血肉のからだで蒔かれ,

御霊に属するからだに

よみがえらされるのです。

血肉のからだがあるのですから,

御霊のからだもあるのです。」




復活の体を問う者がいました。

パウロは見事に聞きました。

パウロはこの言葉をどこから得たのでしょう。


次の歌は,信じない者にとっては,

幼稚園で歌う歌です。

信じる者にとっては,

他にない素晴らしい歌です。



「球根の中には」(新聖歌575)

1.

球根の中には 花が秘められ,
さなぎの中から いのちはばたく。
寒い冬の中 春はめざめる。
その日,その時を ただ神が知る。


2.

沈黙はやがて 歌に変えられ,
深い闇の中 夜明け近づく。
過ぎ去った時が 未来を拓(ひら)く。
その日,その時を ただ神が知る。


3.

いのちの終わりは いのちの始め。
おそれは信仰に,死は復活に,
ついに変えられる 永遠の朝。
その日,その時を ただ神が知る。









サマリヤの女


(ヨハネ4:7-9)

「ひとりのサマリヤの女が

水をくみに来た。

イエスは

『私に水を飲ませてください。』

と言われた。

弟子たちは食物を買いに、

町へ出かけていた。

そこで、そのサマリヤの女は言った。

『あなたはユダヤ人なのに、

どうしてサマリヤの女の私に、

飲み水をお求めになるのですか。』

・・ユダヤ人はサマリヤ人と

つきあいをしなかったからである。・・」



この出来事が現在起きたら

どう対応するでしょうか。


神さまは,ここに働いているのです。

よく,見,聞いてください。

わたしたちの周りにも

この女に似た女はいつもいます。

わたしたちは,

なるべく離れていますようとします。

しかし,イエスは真実を

この女を通して教えるのです。

愚かな人をとおして,

かしこい人を教える方法は,

この世の教え方の全く反対です。



(ヨハネ4:13-15)

イエスは答えて言われた。

「この水を飲む者はだれでも,

また渇きます。

しかし,

わたしが与える水を飲む者はだれでも,

決して渇くことがありません。

わたしが与える水は,

その人のうちで泉となり,

永遠のいのちへの水がわき出ます。」

女はイエスに言った。

「先生。私が渇くことがなく,

もうここまで

くみに来なくてもよいように,

その水を私に下さい。」








再臨


(ルカ17:34,35)

「あなたがたに言いますが,

その夜,

同じ寝台で男がふたり寝ていると,

ひとりは取られ,

他のひとりは残されます。

女がふたりいっしょに臼をひいていると,

ひとりは取られ,

他のひとりは残されます。」


イエス・キリストが弟子に言った言葉です。

イエスの教えは驚きです。



(ルカ21:25-27)

「そして,

日と月と星には,前兆が現われ,

地上では,諸国の民が,

海と波が荒れどよめくために

不安に陥って悩み,

人々は,その住むすべての所を

襲おうとしていることを予想して,

恐ろしさのあまり気を失います。

天の万象が揺り動かされるからです。

そのとき,人々は,

人の子が力と輝かしい栄光を帯びて

雲に乗って来るのを見るのです。」










昇天


(ルカ24:50-53)

「それから,イエスは,

彼らをベタニヤまで連れて行き,

手を上げて祝福された。

そして祝福しながら,

彼らから離れて行かれた。

彼らは,

非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り,

いつも宮にいて

神をほめたたえていた。」



(使徒行伝1:9-11)

「こう言ってから,

イエスは彼らが見ている間に上げられ,

雲に包まれて,見えなくなられた。

イエスが上って行かれるとき,

弟子たちは天を見つめていた。

すると,見よ,白い衣を着た人がふたり,

彼らのそばに立っていた。

そして,こう言った。

『ガリラヤの人たち。

なぜ天を見上げて立っているのですか。

あなたがたを離れて天に上げられた

このイエスは,

天に上って行かれるのを

あなたがたが見たときと同じ有様で,

またおいでになります。』」



弟子たちは,天を見上げていました。

きっと,

驚きで口をあけて上を見ていたことでしょう。







天国


(イザヤ65:17-25)



「『見よ。

まことにわたしは

新しい天と新しい地を創造する。

先の事は思い出されず,

心に上ることもない。

だから,わたしの創造するものを,

いついつまでも楽しみ喜べ。

見よ。

わたしはエルサレムを創造して喜びとし,

その民を楽しみとする。

わたしはエルサレムを喜び,

わたしの民を楽しむ。

そこにはもう,

泣き声も叫び声も聞かれない。

そこにはもう,

数日しか生きない乳飲み子も,

寿命の満ちない老人もない。

百歳で死ぬ者は若かったとされ,

百歳にならないで死ぬ者は,

のろわれた者とされる。

彼らは家を建てて住み,

ぶどう畑を作って,その実を食べる。

彼らが建てて他人が住むことはなく,

彼らが植えて他人が食べることはない。

わたしの民の寿命は,

木の寿命に等しく,

わたしの選んだ者は,

自分の手で作った物を

存分に用いることができるからだ。

彼らはむだに労することもなく,

子を産んで,

突然その子が死ぬこともない。

彼らは主に祝福された者のすえであり,

その子孫たちは彼らとともにいるからだ。

彼らが呼ばないうちに,わたしは答え,

彼らがまだ語っているうちに,

わたしは聞く。

狼と子羊は共に草をはみ,

獅子は牛のように,

わらを食べ,蛇は,

ちりをその食べ物とし,

わたしの聖なる山のどこにおいても,

そこなわれることなく,

滅ぼされることもない。』

と主は仰せられる。」




イザヤに与えられた天国の預言です。


はじめに造った天と地は,

アダムとイヴの罪によって,壊れます。

 


イエス・キリストによる十字架の死は,

この罪を贖うものでした。

 

そして,イエスの再臨によって,

はじめの天と地は回復し,

完成するといいます。


神が天と地を造ったというと,

笑う人がいます。

その人に,

「あなたはどうして,

生きているのですか」と問うと,

「わからない」と言うでしょう。

 

わからないことは多いのです。

ですから,わたしたちは,

神の天地創造を信じるのです。



(創世記3:17-19)

「また,アダムに仰せられた。

『あなたが,妻の声に聞き従い,

食べてはならないと

わたしが命じておいた木から食べたので,

土地は,

あなたのゆえにのろわれてしまった。

あなたは,一生,

苦しんで食を得なければならない。

土地は,あなたのために,

いばらとあざみを生えさせ,

あなたは,野の草を食べなければならない。

あなたは,顔に汗を流して糧を得,

ついに,あなたは土に帰る。

あなたはそこから取られたのだから。

あなたはちりだから,

ちりに帰らなければならない。』」

 



(ローマ8:20-22)

「それは,被造物が虚無に服したのが

自分の意志ではなく,

服従させた方によるのであって,

望みがあるからです。

被造物自体も,

滅びの束縛から解放され,

神の子どもたちの栄光の自由の中に

入れられます。

私たちは,被造物全体が今に至るまで,

ともにうめきともに産みの苦しみを

していることを知っています。」

 

 

2015.11.14

 

 

この記事は、わたしの生の声であり、

話したいことです。

 











 
S.W
 
2020-02-12