朝の光,夕べの雲

キリスト教,聖書の記事

パウロの手紙から数か所

 

 

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パウロの手紙から数か所

 

(口語訳聖書引用)

 

 

 

 

あがないの供え物

 

 

(ローマ3:25,26口語訳)

「神はこのキリストを立てて,

その血による,

信仰をもって受くべき

あがないの供え物とされた。

それは神の義を示すためであった。

すなわち,今までに犯された罪を,

神は忍耐をもって

見のがしておられたが,

それは,今の時に,

神の義を示すためであった。

こうして,神みずからが義となり,

さらに,

イエスを信じる者を

義とされるのである。」

 

 

わたしたちの救いのためには,

キリストの十字架での死が必要です。

 

それは,あがないの供え物でした。

 

 

 

 

(ローマ1:16,17口語訳)

「わたしは福音を恥としない。

それは,ユダヤ人をはじめ,

ギリシヤ人にも,

すべて信じる者に,

救を得させる神の力である。

神の義は,

その福音の中に啓示され,

信仰に始まり信仰に至らせる。

これは,

『信仰による義人は生きる』

と書いてあるとおりである。」

 

 

イエス・キリストを信じることによって,

 

私たちの罪は赦され,義とされます。

 

義とされるとは,

 

神の前で正しい者とされるのです・

 

 

 

 

霊の賜物

 

(1コリント12:4-10口語訳) 

「霊の賜物は種々あるが,

御霊は同じである。

務は種々あるが,主は同じである。

働きは種々あるが,

すべてのものの中に働いて

すべてのことをなさる神は,

同じである。

各自が御霊の現れを賜わっているのは,

全体の益になるためである。

すなわち,

ある人には御霊によって

知恵の言葉が与えられ,

ほかの人には,

同じ御霊によって知識の言,

またほかの人には,

同じ御霊によって信仰,

またほかの人には,

一つの御霊によっていやしの賜物,

またほかの人には力あるわざ,

またほかの人には預言,

またほかの人には霊を見わける力,

またほかの人には種々の異言,

またほかの人には異言を解く力が,

与えられている。」

 

 

 

 

最も大事なこと

 

(1コリント15:3-8 口語訳)

「わたしが最も大事なこととして

あなたがたに伝えたのは,

わたし自身も受けたことであった。

すなわちキリストが,

聖書に書いてあるとおり,

わたしたちの罪のために死んだこと,

そして葬られたこと,

聖書に書いてあるとおり,

三日目によみがえったこと,

ケパに現れ,

次に,十二人に現れたことである。

そののち,五百人以上の兄弟たちに,

同時に現れた。

その中には

すでに眠った者たちもいるが,

大多数はいまなお生存している。

そののち,ヤコブに現れ,

次に,すべての使徒たちに現れ,

そして最後に,

いわば,

月足らずに生れたようなわたしにも,

現れたのである。」

 

 

 

 

復活のからだ

 

(1コリント15:47-49口語訳)

「第一の人は地から出て土に属し,

第二の人は天から来る。

この土に属する人に,

土に属している人々は等しく,

この天に属する人に,

天に属している人々は等しいのである。

すなわち,わたしたちは,

土に属している形を

とっているのと同様に,

また天に属している

形をとるであろう。」

 

 

 

 

第三の天

 

(2コリント12:2-4口語訳)

「わたしはキリストにある

ひとりの人を知っている。

この人は十四年前に

第三の天にまで引き上げられた

――それが,からだのままであったか,

わたしは知らない。

からだを離れてであったか,

それも知らない。神がご存じである。

この人が――

それが,からだのままであったか,

からだを離れてであったか,

わたしは知らない。

神がご存じである――

パラダイスに引き上げられ,

そして口に言い表わせない,

人間が語ってはならない言葉を

聞いたのを,

わたしは知っている。」

 

 

「キリストにある一人の人」とは

パウロのことです。

 

 

またパウロは,

自分を誇らないように肉体にとげが

あることも話しています。

 

 

 

 

 

神に生きる

 

(ガラテヤ2:19,20口語訳)

「私は,神に生きるために,

律法によって律法に死にました。

私はキリストとともに

十字架につけられました。

もはや私が生きているのではなく,

キリストが私のうちに

生きておられるのです。

いま私が,

この世に生きているのは,

私を愛し

私のためにご自身をお捨てになった

神の御子を信じる

信仰によっているのです。」

 

 

この言葉は,

パウロの個人的な体験です。

 

 

わたしたちが,

イエス・キリストを信じ,

信じて歩むことの根本は,

わたしたちが主と共に死に,

主の復活と共に生きることです。

 

 

 

 

「アバ,父よ」-御子の霊を持つ

 

(ガラテヤ4:6口語訳)

「このように,

あなたがたは子であるのだから,

神はわたしたちの心の中に,

『アバ,父よ』と呼ぶ

御子の霊を送って下さったのである。」

 

 

「アバ」とは,アラム語で父の意味です。

 

聖霊がわたしたちに働きかけて,

 

「アバ父よ」と言わしめます。

 

聖霊により,私たちは神を「お父さん」

 

 

 

 

「キリストが形づくられる」

 

(ガラテヤ4:19口語訳)

「ああ,わたしの幼な子たちよ。

あなたがたの内に

キリストの形ができるまでは,

わたしは,またもや,

あなたがたのために

産みの苦しみをする。」

 

 

 

パウロは,ガラテヤの信徒が,

福音の真理に立ち返り,

心の中にキリストが形造られるまでは,

パウロ自身が生みの苦しみをすると言います。

 

 

同じように,わたしたちも,

こころにキリストが形造られるまでは,

私たち自身が苦しみます。

 

わたしたちは,

わたしたちの内に

キリストの形を造るべきです。

 

私たち自身をつくろうとしてはいけません。

 

イエス・キリストご自身が,

わたしたちの心の中にいるということが,

わたしたちの生き方です。

 

 

 

 

聖霊の実を結ぶ

 

(ガラテヤ5:22,23口語訳)

「御霊の実は,愛,喜び,平和,

寛容,慈愛,善意,

忠実,柔和,自制であって,

これらを否定する律法はない。」

 

 

イエス・キリストが十字架につけられ,

復活し,昇天した後,聖霊が降ります。

 

イエス・キリストを信じる者は,

信じたときこの聖霊を受けます。

 

そうするなら,

この御霊の実を結んでいきます。

 

 

 

 

選び

 

(エペソ1:3-5口語訳)

「ほむべきかな,

わたしたちの主イエス・キリストの

父なる神。

神はキリストにあって,

天上で霊のもろもろの祝福をもって,

わたしたちを祝福し,

みまえに

きよく傷のない者となるようにと,

天地の造られる前から,

キリストにあってわたしたちを選び,

わたしたちに,

イエス・キリストによって

神の子たる身分を授けるようにと,

御旨のよしとするところに従い,

愛のうちに

あらかじめ定めて下さったのである。」

 

 

私たちは,

イエス・キリストを

信じることによって救われます。

 

私たちが信じたのは,

神の選びによっています。

 

神の選びは,

信仰がわたしたちの業でないことを示しています。

 

救いは,神の一方的な恵みによっているからです。

 

 

「神の選び」を信じることによって,

 

こころに揺らぐことのない平安が与えられます。

 

 

 

 

キリストと共にいる 

 

(エペソ2:5,6口語訳)

「罪過によって

死んでいたわたしたちを,

キリストと共に生かし

――あなたがたの救われたのは,

恵みによるのである――

キリスト・イエスにあって,

共によみがえらせ,

共に天上で座に

つかせて下さったのである。」

 

 

キリストを信じる人は,

時間と空間をこえて,

 

キリストの内に,キリストと共にいます。

 

イエス・キリストの体験したことが,

信じる人の体験となります。

 

イエス・キリストが死に,葬られたことによって,

 

古いわたしたちが死に葬られました。

 

イエス・キリストが復活したことによって,

 

私たちもイエス・キリストと共によみがえりました。

 

イエスが天にいますから,わたしたちも天にいます。

 

 

 

 

キリストのへりくだり

 

(ピリピ2:5-10 口語訳)

「キリスト・イエスにあって

いだいているのと同じ思いを,

あなたがたの間でも互に生かしなさい。

キリストは,

神のかたちであられたが,

神と等しくあることを

固守すべき事とは思わず,

かえって,

おのれをむなしうして

僕のかたちをとり,

人間の姿になられた。

その有様は人と異ならず,

おのれを低くして,

死に至るまで,

しかも十字架の死に至るまで

従順であられた。

それゆえに,

神は彼を高く引き上げ,

すべての名にまさる名を彼に賜わった。

それは,イエスの御名によって,

天上のもの,地上のもの,

地下のものなど,

あらゆるものがひざをかがめ,

また,あらゆる舌が,

『イエス・キリストは主である』

と告白して,

栄光を父なる神に帰するためである。」

 

 

私たちがヘリくだることが必要なことは,

イエスが示してくださいました。

 

この手本は,キリストの受肉と十字架でした。

 

イエスは,正しく裁く方に委ねました,

ここにイエスのへりくだる姿をみることができます。

 

 

 

 

神の右の座

 

(コロサイ3:1,2口語訳)

「このように,

あなたがたはキリストと共に

よみがえらされたのだから,

上にあるものを求めなさい。

そこではキリストが

神の右に座しておられるのである。

あなたがたは

上にあるものを思うべきであって,

地上のものに

心を引かれてはならない。」

 

 

イエス・キリストは復活した後,天に上げられました。

 

今,イエス・キリストは神の右の座にいます。

 

わたしたちは,天に上げられた神からすべての良い物が与えられます。

 

 

 

 

再臨 

 

(Ⅰテサロニケ4:16,17口語訳)

「主ご自身が天使のかしらの声と

神のラッパの鳴り響くうちに,

合図の声で,

天から下ってこられる。

その時,

キリストにあって死んだ人々が,

まず最初によみがえり,

それから生き残っているわたしたちが,

彼らと共に雲に包まれて引き上げられ,

空中で主に会い,

こうして,

いつも主と共にいるであろう。」

 

 

テサロニケの教会では,

キリストがまもなく再臨するのだから働く必要はないと考える者がいました。

 

すでに死んだ者はキリストの再臨に与かることがないと考え,悲しむ者がいました。

 

キリストの再臨以前に死んだ信者は,

再臨の祝福に与かれないのではないかという誤解に答えるために,パウロは答えました。

 

 

困難のなかにあって,主の再臨は大きな慰めです。

 

 

 

 

怠惰な生活を戒める

 

(2テサロニケ3:12口語訳)

「こうした人々に対しては,

静かに働いて

自分で得たパンを食べるように,

主イエス・キリストによって

命じまた勧める。」

 

 

 

再臨の前にして,

怠惰な生活をしてはいけないこと,

落ち着いた生活をすることを勧めます。

 

 

 

 

テモテへの手紙 

 

(1テモテ4:12口語訳)

「あなたは,

年が若いために

人に軽んじられてはならない。

むしろ,言葉にも,行状にも,

愛にも,信仰にも,純潔にも,

信者の模範になりなさい。」

 

 

教会の指導者に教会の組織について,

異端に対する注意が述べられている。

 

 

エペソの教会には,

違った考え,背教者が出ていました。

 

 

 

 

福音のための苦しみ

 

(2テモテ1:7,8口語訳)

「神がわたしたちに下さったのは,

臆する霊ではなく,

力と愛と慎みとの霊なのである。

だから,あなたは,

わたしたちの主のあかしをすることや,

わたしが主の囚人であることを,

決して恥ずかしく思ってはならない。

むしろ,神の力にささえられて,

福音のために,

わたしと苦しみを共にしてほしい。」

 

 

主を信じることは,聖霊を受けることであり。

 

パウロがイエス・キリストの苦しみに倣ったように,

テモテにも共に苦しむことを勧めています。

 

 

 

 

永遠のいのち

 

(テトス3:3-7口語訳)

「わたしたちも以前には,

無分別で,

不従順な,

迷っていた者であって,

さまざまの情欲と快楽との奴隷になり,

悪意とねたみとで日を過ごし,

人に憎まれ,互に憎み合っていた。

ところが,わたしたちの救主なる

神の慈悲と博愛とが現れたとき,

わたしたちの行った

義のわざによってではなく,

ただ神のあわれみによって,

再生の洗いを受け,

聖霊により新たにされて,

わたしたちは救われたのである。

この聖霊は,

わたしたちの救主

イエス・キリストをとおして,

わたしたちの上に豊かに注がれた。

これは,わたしたちが,

キリストの恵みによって義とされ,

永遠のいのちを望むことによって,

御国をつぐ者となるためである。」

 

 

パウロの再生(新生)について,

永遠のいのちについての考えをテトスに伝えます。