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イエスのくびきを負う (マタイ11:28ー30)

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マタイ11:28ー30(口語訳) 

 
 
「すべて重荷を負うて苦労している者は,
 
わたしのもとにきなさい。
 
あなたがたを休ませてあげよう。
 
わたしは
 
柔和で心のへりくだった者であるから,
 
わたしのくびきを負うて,
 
わたしに学びなさい。
 
そうすれば,
 
あなたがたの魂に
 
休みが与えられるであろう。
 
わたしのくびきは負いやすく,
 
わたしの荷は軽いからである。」
 
 
 
 
ユダヤ教の律法主義の重荷に
 
「疲れた」人々に
 
イエスは
 
安息に招くことが出来ます。
 
 
 
「くびき」は
 
本来荷を負いやすくするためのものですが,
 
パリサイ人は多くの規定を生み出して,
 
律法のくびきを重荷にしました。
 
 
 
イエスのくびきが
 
「負いやす」いのは,
 
イエスがが柔和でへりくだっているからです。
 
 
 
 
 
 
安息をあたえてくださる神の立場に,
 
イエスご自身が立っています。
 
 
 
エレミヤ6:16(口語訳) 
 
 
「主はこう言われる,
 
『あなたがたはわかれ道に立って,
 
よく見,いにしえの道につき,
 
良い道がどれかを尋ねて,
 
その道に歩み,
 
そしてあなたがたの魂のために,
 
安息を得よ。
 
しかし彼らは答えて,
 
『われわれはその道に歩まない』
 
と言った。」
 
 
 
2021-01-17