朝の光,夕べの雲

キリスト教,聖書の記事

恵みが満ち溢れる (ローマ5:20)

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(ローマ5:20)

「律法がはいって来たのは,

違反が増し加わるためです。

しかし,罪の増し加わるところには,

恵みも満ちあふれました。」

 

 

「律法がはいって来たのは,

違反が増し加わるためです。」とは,

モーセに律法が与えられることで,

律法違反が加わります。

 

「罪の増し加わるところには,

恵みも満ちあふれました」とは,

罪が増し加われば,

それは赦してくださる

神の恵みを豊かにされます。

 

神の恵みは,

イエス・キリストが

私たちのために

死んだことによります。

 

 

 

 

恵みとは,

神から与えられる

愛の顧みと祝福とあわれみです。

 

人間は罪人だから,

神の恵みを受けるに値しません。

 

しかし神は愛のゆえに,

責務としてではなく,

自発的に恵みを無代価で与えます。

 

恵みは特にイエス・キリストが受肉し,

十字架によって贖いを

成就したことによって示されます。

 

 

 

 

新聖歌376「如何に汚れたる」は,

この聖書の言葉を賛美にしています。

 

「如何に汚れたる 者の心をも

きよめ給う主は げにほむべきかな

罪汚れは いや増すとも

主の恵みもまた いや増すなり」

 

 

 

パウロは,

神の恵みを次のように言います。

 

(ローマ5:8-11)

 

「しかし

私たちがまだ罪人であったとき,

キリストが私たちのために

死んでくださったことにより,

神は私たちに対する

ご自身の愛を明らかにしておられます。

ですから,

今すでにキリストの血によって

義と認められた私たちが,

彼によって神の怒りから救われるのは,

なおさらのことです。

もし敵であった私たちが,

御子の死によって

神と和解させられたのなら,

和解させられた私たちが,

彼のいのちによって

救いにあずかるのは,

なおさらのことです。

そればかりでなく,

私たちのために

今や和解を成り立たせてくださった

私たちの主イエス・キリストによって,

私たちは神を大いに

喜んでいるのです。」