(伝道3:1)
「天の下では,
何事にも定まった時期があり,
すべての営みには時がある。」
人は,時の意味を求めます。
しかしそれは隠されています。
そして,時のなぞは,
伝道3:9-15に続いていきます。
伝道3:11には次のようにあります。
(伝道3:11 新改訳)
「神のなさることは,
すべて時にかなって美しい。
神はまた,
人の心に永遠への思いを与えられた。
しかし,人は,
神が行なわれるみわざを,
初めから終わりまで
見きわめることができない。」
(伝道3:11 新共同訳)
「神はすべてを時宜にかなうように造り,
また,永遠を思う心を人に与えられる。
それでもなお,
神のなさる業を始めから終りまで
見極めることは許されていない。」
(伝道3:1-8)
「天の下では,
何事にも定まった時期があり,
すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり,
死ぬのに時がある。
植えるのに時があり,
植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり,
いやすのに時がある。
くずすのに時があり,
建てるのに時がある。
泣くのに時があり,
ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり,
踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり,
石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり,
抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり,
失うのに時がある。
保つのに時があり,
投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり,
縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり,
話をするのに時がある。
愛するのに時があり,
憎むのに時がある。
戦うのに時があり,
和睦するのに時がある。」
(伝道3:9-15)
「働く者はその労することにより,
なんの益を得るか。
わたしは神が人の子らに与えて,
ほねおらせられる仕事を見た。
神のなされることは
皆その時にかなって美しい。
神はまた人の心に
永遠を思う思いを授けられた。
それでもなお,
人は神のなされるわざを
初めから終りまで
見きわめることはできない。
わたしは知っている。
人にはその生きながらえている間,
楽しく愉快に過ごすより
ほかに良い事はない。
またすべての人が食い飲みし,
そのすべての労苦によって
楽しみを得ることは神の賜物である。
わたしは知っている。
すべて神がなさる事は
永遠に変ることがなく,
これに加えることも,
これから取ることもできない。
神がこのようにされるのは,
人々が神の前に
恐れをもつようになるためである。
今あるものは,
すでにあったものである。
後にあるものも,
すでにあったものである。
神は追いやられたものを
尋ね求められる。」
2015-10-11