朝の光,夕べの雲

キリスト教,聖書の記事

マタイの福音書,スマホから読む  2022.5.18 

 

マタイの福音書,スマホから読む  2022.5.18 

 

 

 

イエス・キリストの系図

 

(マタイ1:1)

 

「アブラハムの子ダビデの子,

イエス・キリストの系図。」

 

マタイの福音書の初めの記述です。

 

 

 

 

イエスの誕生 (マタイ1:24)

 

「見よ,処女がみごもっている。

そして男の子を産む。

その名はインマヌエルと呼ばれる。」

(訳すと,

神は私たちとともにおられる,

という意味である。)

 

 

「インマヌエル」とは,ヘブル語で

「神は私たちとともにおられる」

という意味です。

 

神が人間に臨在している

ということです。

 

 

 

 

ヘロデ,子供を皆殺しにする

 

(マタイ2:16)

「その後,ヘロデは,

博士たちにだまされたことがわかると,

非常におこって,人をやって,

ベツレヘムと

その近辺の二歳以下の男の子を

ひとり残らず殺させた。

その年令は博士たちから

突き止めておいた時間から

割り出したのである。」

 

 

ヘロデは,イエス・キリストを

殺すために「二歳以下の男の子」

を殺します。

 

イエスは,神の導きで助けられます。

 

 

 

 

エジプトから帰国

 

(マタイ2:19-21)

「ヘロデが死ぬと,

見よ,主の使いが,

夢でエジプトにいるヨセフに現われて,

言った。

『立って,幼子とその母を連れて,

イスラエルの地に行きなさい。

幼子のいのちをつけねらっていた

人たちは死にました。』

そこで,彼は立って,

幼子とその母を連れて,

イスラエルの地にはいった。」

 

 

イエスは,

神の導きでエジプトから帰国します。

 

 

 

 

バプテスマのヨハネ(マタイ3:11)

 

「私は,

あなたがたが悔い改めるために,

水のバプテスマを授けていますが,

私のあとから来られる方は,

私よりもさらに力のある方です。

私はその方のはきものを

脱がせてあげる値うちもありません。

その方は,

あなたがたに聖霊と火との

バプテスマをお授けになります。」

 

 

バプテスマのヨハネは,

イエス・キリストが聖霊によって

バプテスマを授けると言います。

 

 

 

 

イエスの洗礼 

 

(マタイ3:16,17)

「こうして,

イエスはバプテスマを受けて,

すぐに水から上がられた。

すると,天が開け,

神の御霊が鳩のように下って,

自分の上に来られるのをご覧になった。

また,天からこう告げる声が聞こえた。

『これは,わたしの愛する子,

わたしはこれを喜ぶ。』」

 

 

イエスの洗礼は,

三位一体の働きがあります。

 

「神の見た間が鳩のように降って」

(3:16)という聖霊の働き,

 

「天からこう告げる声が聞こえた」

(3:17)という父なる神の

働きがありました。

 

イエス・キリストの洗礼は,

聖霊が望みます。

 

キリストの誕生のときの

聖霊による誕生で,

マリヤに聖霊が望みました。

 

キリストの洗礼は

公生涯の始まりです。

 

聖霊はキリストの上にのぞみ,

キリストを預言者,王,祭司としての

油注ぎ(聖別)でした。

 

 

 

 

荒野の誘惑

 

(マタイ4:1-4)

「さて,イエスは,

悪魔の試みを受けるため,

御霊に導かれて荒野に上って行かれた。

そして,四十日四十夜断食したあとで,

空腹を覚えられた。

すると,

試みる者が近づいて来て言った。

「あなたが神の子なら,

この石がパンになるように,

命じなさい。」

イエスは答えて言われた。

「『人はパンだけで生きるのではなく,

神の口から出る

一つ一つのことばによる。』

と書いてある。」

 

 

この荒野の誘惑の箇所では,

聖霊,父なる神と子なる神(イエス)との

交わりがあります。

 

「御霊に導かれて」(マタイ4:1)

 

主の語った言葉は父なる神に関することです。

 

「『人はパンだけで生きるのではなく,

神の口から出る一つ一つのことばによる。』

と書いてある。」(マタイ4:4)

 

「『あなたの神である主を

試みてはならない。』

とも書いてある。」(マタイ4:7)

 

「引き下がれ,サタン。

『あなたの神である主を拝み,

主にだけ仕えよ。』と書いてある。」

(マタイ4:10)

 

わたしたちが神に仕えるとき,

悪魔は力を失い,

悪魔を拒めば,去って行きます。

 

 

☆彡

 

 

(マタイ4:1-11)

「さて,イエスは,

悪魔の試みを受けるため,

御霊に導かれて荒野に上って行かれた。

そして,

四十日四十夜断食したあとで,

空腹を覚えられた。

すると,

試みる者が近づいて来て言った。

「あなたが神の子なら,

この石がパンになるように,

命じなさい。」

イエスは答えて言われた。

「『人はパンだけで生きるのではなく,

神の口から出る

一つ一つのことばによる。』

と書いてある。」

すると,

悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き,

神殿の頂に立たせて,

言った。

「あなたが神の子なら,

下に身を投げてみなさい。

『神は御使いたちに命じて,

その手にあなたをささえさせ,

あなたの足が石に打ち当たる

ことのないようにされる。』

と書いてありますから。」

イエスは言われた。

「『あなたの神である

主を試みてはならない。』

とも書いてある。」

今度は悪魔は,

イエスを非常に高い山に連れて行き,

この世のすべての国々と

その栄華を見せて,

言った。

「もしひれ伏して私を拝むなら,

これを全部あなたに

差し上げましょう。」

イエスは言われた。

「引き下がれ,サタン。

『あなたの神である主を拝み,

主にだけ仕えよ。』と書いてある。」

すると悪魔はイエスを離れて行き,

見よ,

御使いたちが近づいて来て仕えた。

 

 

 

 

荒野の誘惑 (マタイ4:1)

 

「さて,イエスは,

悪魔の試みを受けるため,

御霊に導かれて

荒野に上って行かれた。」

 

 

荒野の試練の時も,

イエスは御霊に導かれました。

(マタイ4:1)。

 

聖霊によって,

イエスは油注がれ,

聖書のことばによって,

悪魔に打ち勝ちました。

 

アダムとエバは,

誘惑を受け失敗しました。

 

悪魔は,神と人,

人と人との疑惑の種を播きます。

 

それは神の言葉に対して,

信頼を無くさせるものでした。

 

 

(創世記3:1)

「さて,神である主が

造られたあらゆる野の獣のうちで,

蛇が一番狡猾であった。

蛇は女に言った。

『あなたがたは,

園のどんな木からも食べてはならない,

と神は,

ほんとうに言われたのですか。』」

 

 

イエスは,神の言葉に信頼をしました。

 

イエスは,世に打ち勝ちました。

 

(ヨハネ16:33)

「わたしがこれらのことを

あなたがたに話したのは,

あなたがたがわたしにあって

平安を持つためです。

あなたがたは,

世にあっては患難があります。

しかし,勇敢でありなさい。

わたしはすでに世に勝ったのです。」

 

 

 

 

心の貧しいもの (マタイ5:3)

 

「心の貧しい者は幸いです。

天の御国はその人のものだからです。」

 

 

「心の貧しい者」とは,

神に頼らなければ心(魂)の欲求が

満たされないと,

自分の無力さを

知っている人ではないでしょうか。

 

「幸い」とは,

神に従がうとき与えられる

救いの喜びです。

 

イエス・キリストの言葉は,

理解できないことが多いですが,

わたしたちが,神を信じたときに

理解できます。

 

この世のものに幸いはなく,

神のうちに,喜びがあり,

幸いがあります。

 

 

 

 

律法の成就(マタイ5:17)

 

「わたしが来たのは

律法や預言者を廃棄するためだと

思ってはなりません。

廃棄するためにではなく,

成就するために来たのです。」

 

 

「律法や預言者」とは,

旧約聖書全体のことです。

 

イエスは十戒を解釈し,

また実行しました。

 

 

 

 

求める者には与え

 

(マタイ5:42)

「求める者には与え,

借りようとする者は

断わらないようにしなさい。」

 

 

私たちは神から

一方的に恵みを受けています。

 

ですから,求める者には

与えるのです。

 

 

 

 

空の鳥を見よ

 

(マタイ6:26)

「空の鳥を見なさい。

種蒔きもせず,刈り入れもせず,

倉に納めることもしません。

けれども,

あなたがたの天の父が

これを養っていてくださるのです。

あなたがたは,鳥よりも,

もっとすぐれたものでは

ありませんか。」

 

 

 

 

ほかの人にもそのようにしなさい

 

(マタイ7:12)

「それで,何事でも,

自分にしてもらいたいことは,

ほかの人にもそのようにしなさい。

これが律法であり預言者です。」

 

 

このことばは,

イエスの語られた黄金律です。

 

イエス・キリストは,

わたしたちが神に求めるものは

何でも与えられると言われます。

 

ですから,イエス・キリストは,

自分にしてもらいたいことは,

ほかの人にもそのように

しなさいと言われます。

 

 

 

 

岩の上に建てる

 

(マタイ7:24-27)

「だから,

わたしのこれらのことばを

聞いてそれを行なう者はみな,

岩の上に自分の家を建てた

賢い人に比べることができます。

雨が降って洪水が押し寄せ,

風が吹いてその家に打ちつけたが,

それでも倒れませんでした。

岩の上に建てられていたからです。

また,わたしのこれらのことばを聞いて

それを行なわない者はみな,

砂の上に自分の家を建てた

愚かな人に比べることができます。

雨が降って洪水が押し寄せ,

風が吹いてその家に打ちつけると,

倒れてしまいました。

しかもそれはひどい倒れ方でした。」

 

 

イエス・キリストの山上の説教の

終わりの言葉です。

 

聴いた山上の説教を

行いなさいと言います。

 

 

 

 

嵐を静める

 

(マタイ8:26,27)

「イエスは言われた。

『なぜこわがるのか,

信仰の薄い者たちだ。』

それから,起き上がって,

風と湖をしかりつけられると,

大なぎになった。

人々は驚いてこう言った。

『風や湖までが言うことをきくとは,

いったいこの方は

どういう方なのだろう。』」

 

 

イエスが眠っておられたのは,

父なる神への深い信仰でした。

 

イエスは,

神に信仰を持つようにと言います。

 

イエスは自然を支配する方でした。

 

 

 

 

マタイの召し

 

(マタイ9:9)

「さてイエスはそこから進んで行かれ,

マタイという人が

収税所にすわっているのを見て,

『わたしに従ってきなさい』

と言われた。

すると彼は立ちあがって,

イエスに従った。」

 

のちに,マタイは,

このマタイの福音書を書きます。

 

イエスの弟子として,

イエス・キリストを

直接見聞きしています。

 

この福音書は,

ユダヤ人を読者として書かれています。

 

ナザレのイエスが

旧約聖書において預言された

メシヤであることを強調しています。

 

 

(マタイ9:9-13)

さてイエスはそこから進んで行かれ,

マタイという人が

収税所にすわっているのを見て,

「わたしに従ってきなさい」

と言われた。

すると彼は立ちあがって,

イエスに従った。

それから,イエスが家で食事の席に

ついておられた時のことである。

多くの取税人や罪人たちがきて,

イエスや弟子たちと共に

その席に着いていた。

パリサイ人たちはこれを見て,

弟子たちに言った,

「なぜ,あなたがたの先生は,

取税人や罪人などと

食事を共にするのか」。

イエスはこれを聞いて言われた,

「丈夫な人には医者はいらない。

いるのは病人である。

『わたしが好むのは,

あわれみであって,いけにえではない』

とはどういう意味か,学んできなさい。

わたしがきたのは,

義人を招くためではなく,

罪人を招くためである」。

 

 

 

 

指導者の娘のいやし

 

(マタイ9:23,24)

「イエスはその管理者の家に来られて,

笛吹く者たちや騒いでいる群衆を見て,

言われた。

『あちらに行きなさい。

その子は死んだのではない。

眠っているのです。』

すると,

彼らはイエスをあざ笑った。」

 

 

群衆は,イエスの言葉を笑いました。

 

少女のよみがえりは,

イエスが死人を生き返らすことを

示しています。

 

そして,キリストにあって眠った人々が,

主が再び来られるとき,

よみがえることを示しています。

 

 

 

 

汚れた霊

 

(マタイ10:1)

「イエスは十二弟子を呼び寄せて,

汚れた霊どもを

制する権威をお授けになった。

霊どもを追い出し,あらゆる病気,

あらゆるわずらいを

直すためであった。」

 

 

汚れた霊とは悪霊のことです。

 

悪霊は,

悪魔の支配下にある霊的存在です。

 

悪霊の数は多く,

レギオンという軍団をなしています。

(マルコ5:9)

 

悪霊の頭は

ベルゼブル(悪魔)と呼ばれています。

 

悪霊は人間の心に入ります。

 

悪霊が人格の中に入った人を

「悪霊につかれた人」と言います。

 

悪霊は,悪魔(サタン)に従がい

神に逆らった

天使たちの成れの果てです。

 

悪霊の一部は閉じ込められています。

 

 

 

 

くびきを負う

 

(マタイ11:28-30)口語訳

「すべて重荷を負うて

苦労している者は,

わたしのもとにきなさい。

あなたがたを休ませてあげよう。

わたしは柔和で

心のへりくだった者であるから,

わたしのくびきを負うて,

わたしに学びなさい。

そうすれば,

あなたがたの魂に

休みが与えられるであろう。

わたしのくびきは負いやすく,

わたしの荷は軽いからである」。

 

 

くびきとは,

2頭の牛をつなぐための道具です。

 

イエスのくびきとは,

神の愛に応える生き方です。

 

イエスのくびきは,

わたしたちのからだに合っており,

重荷となることはないといいます。

 

 

 

 

安息日のいやし

 

(マタイ12:12)

「人間は羊より,

はるかに値うちのあるものでしょう。

それなら,

安息日に良いことをすることは,

正しいのです。」

 

 

良いこととはいやしですが,

人間の究極のいやしは,

たましいの救いです。

 

 

 

 

いやし

 

(マタイ12:15)

「イエスはそれを知って,

そこを立ち去られた。

すると多くの人がついて来たので,

彼らをみないやし,」

 

 

 

 

からし種のたとえ

 

(マタイ13:31,31)

「イエスは,

また別のたとえを

彼らに示して言われた。

『天の御国は,

からし種のようなものです。

それを取って,畑に蒔くと,

どんな種よりも小さいのですが,

生長すると,

どの野菜よりも大きくなり,

空の鳥が来て,

その枝に巣を作るほどの

木になります。』」

 

 

種は神のことばをあらわしていますが,

 

イエスのことば,神のことばは

わたしたちの心に入るなら,

成長します。

 

わたしたちに言葉とは

なにかを教えてくださいます。

 

いのちのあるものは,成長します。

 

天の御国も成長するのです。

 

 

 

 

天の御国

 

(マタイ13:52)

「天の御国の弟子となった学者はみな,

自分の倉から新しい物でも古い物でも

取り出す

一家の主人のようなものです。」

 

 

新しいものとは,キリストの贖いです。

 

古いものとは,

旧約の律法を意味しています。

 

イエス・キリストの弟子となった者は,

天の御国の豊かな知識を

得ることが出来ます。

 

 

 

 

湖の上を歩く

 

(マタイ14:26,27)

「弟子たちは,

イエスが海の上を

歩いておられるのを見て,

幽霊だと言っておじ惑い,

恐怖のあまり叫び声をあげた。

しかし,

イエスはすぐに彼らに声をかけて,

『しっかりするのだ,

わたしである。恐れることはない

と言われた。」

 

 

弟子たちの乗った船が

波にもまれました。

 

そこにイエスが

湖の上を歩いて近づきます。

 

そして,

「しっかりするのだ,

わたしである。

恐れることはない」

と言います。

 

 

 

 

立派な信仰

 

(マタイ15:27,28)

「女は言った。

『主よ。そのとおりです。

ただ,小犬でも主人の食卓から

落ちるパンくずはいただきます。』

そのとき,

イエスは彼女に答えて言われた。

『ああ,あなたの信仰はりっぱです。

その願いどおりになるように。』

すると,

彼女の娘はその時から直った。」

 

 

カナン人の女は,

キリストの救いは

全人類のものであるけれども,

ユダヤ人に福音を聞く

優先権がることを認めます。

 

その謙遜のゆえに,

イエスは彼女の信仰が

本物であると知り,

その娘をいやしました。

 

 

 

 

天の御国の鍵

 

(マタイ16:19)

「わたしは,

あなたに天の御国のかぎを上げます。

何でもあなたが地上でつなぐなら,

それは天においてもつながれており,

あなたが地上で解くなら,

それは天においても解かれています。」

 

 

「かぎ」とは,イエス・キリストを

信じるなら救われるということです。

 

 

 

 

山上の変貌(へんぼう)

 

(マタイ17:5)

「彼がまだ話している間に,

見よ,光り輝く雲がその人々を包み,

そして,雲の中から,

『これは,わたしの愛する子,

わたしはこれを喜ぶ。

彼の言うことを聞きなさい。』

という声がした。」

 

 

モーセとエリヤが

見えなくなったと言うことは,

旧約聖書の約束はイエス・キリストが

成し遂げるということです。

 

 

 

 

謙遜

 

(マタイ18:4)

「この子どものように,

自分を低くする者が,

天の御国で一番偉い人です。」

 

 

子どもは,謙遜と信頼の象徴です。

 

子どものように,

自分を低くし,

イエスを受け入れる者が

「天の御国で一番偉い人です。」

 

 

 

 

らくだと針の穴

 

(マタイ19:23,24)

「それから,

イエスは弟子たちに言われた。

『まことに,あなたがたに告げます。

金持ちが天の御国にはいるのは

むずかしいことです。

まことに,

あなたがたにもう一度,

告げます。

金持ちが神の国にはいるよりは,

らくだが針の穴を通るほうが

もっとやさしい。』」

 

 

「らくだ」は,

ユダヤ人の知っている

最も大きな動物でした。

 

そして,「針の穴」は

目に見えるもので通りぬけのできる

最も小さいものでした。

 

金持ちは,傲慢なもののたとえです。

 

神の国に入れるのは

謙虚なものだけだといいます。

 

イエス・キリストの言葉はユーモアがあります。

 

神の国に入るのは,

イエス・キリストを

信じることによってだけです。

 

 

 

 

偉くなりたい者

 

(マタイ20:26)

「あなたがたの間では,

そうではありません。

あなたがたの間で

偉くなりたいと思う者は,

みなに仕える者になりなさい。」

 

 

弟子たちには,

「偉い」ということが

分かっていませんでした。

 

イエスは,

人に仕える者になれと言います

 

(マタイ20:28)

「人の子が来たのが,

仕えられるためではなく,

かえって仕えるためであり,

また,多くの人のための,

贖いの代価として,

自分のいのちを

与えるためであるのと同じです。」

 

 

 

 

ろばの背に乗って

 

(マタイ21:5)

「シオンの娘に伝えなさい。

『見よ。あなたの王が,

あなたのところにお見えになる。

柔和で,ろばの背に乗って,

それも,

荷物を運ぶろばの子に乗って。』」

そこで,弟子たちは行って,

イエスが命じられたとおりにした。」

 

 

王は戦いのときは馬に,

平和のときに,ろばに乗りました。

 

イエスは,

エルサレムにろばに乗って

入りました。

 

 

 

 

カイザルのものはカイザルに

 

(マタイ22:21)

イエスは言われた。

「それなら,

カイザルのものは

カイザルに返しなさい。

そして神のものは神に返しなさい。」

 

 

 

 

自分を低くする者

 

(マタイ23:10-12)

「あなたがたは

教師と呼ばれてはならない。

あなたがたの教師はただひとり,

すなわち,キリストである。

そこで,

あなたがたのうちで

いちばん偉い者は,

仕える人でなければならない。

だれでも自分を高くする者は低くされ,

自分を低くする者

高くされるであろう。」

 

 

 

 

目を覚ましなさい

 

(マタイ24:37-39)

「人の子が来るのは,

ちょうど,ノアの日のようだからです。

洪水前の日々は,

ノアが箱舟にはいるその日まで,

人々は,飲んだり,食べたり,

めとったり,とついだりしていました。

そして,洪水が来て

すべての物をさらってしまうまで,

彼らはわからなかったのです。

人の子が来るのも,そのとおりです。」

 

 

洪水,戦争,ききん,地震,

にせ預言者,にせキリストが

最後の審判の警告でした。

 

目を覚ませているとは,

キリストの存在をいつも感じて,

喜んでいることであり,

イエス・キリストを

信じていることです。

 

 

 

 

十人のむすめのたとえ

 

(マタイ25:9)

「しかし,賢い娘たちは答えて言った。

『いいえ,

あなたがたに分けてあげるには

とうてい足りません。

それよりも店に行って,

自分のをお買いなさい。』」

 

 

愚かな娘は,

油を分けてくださいといいますが,

もらえません。

 

油は,神を信じることです。

各自が持つべきで,他人から借りられません。

 

油は聖霊のたとえに

使うこともあります。

 

 

 

 

主の晩餐

 

(マタイ26:26-28)

「彼らが食事をしているとき,

イエスはパンを取り,

祝福して後,これを裂き,

弟子たちに与えて言われた。

『取って食べなさい。

これはわたしのからだです。』

また杯を取り,感謝をささげて後,

こう言って彼らにお与えになった。

『みな,この杯から飲みなさい。

これは,わたしの契約の血です。

罪を赦すために

多くの人のために

流されるものです。』」

 

 

過越しの祭りは,

イスラエルのエジプトからの

救出を指し示し,

将来イエス・キリストが

恵みの内に来られることを指し示しました。

 

 

聖さん式は,イエスの死を示し,

将来の栄光のうちに来られる

イエス・キリストを示しています。

 

 

 

 

ユダヤ人の王 

 

(マタイ27:29)

「それから,いばらで冠を編み,

頭にかぶらせ,右手に葦を持たせた。

そして,

彼らはイエスの前にひざまずいて,

からかって言った。

『ユダヤ人の王さま。ばんざい。』」

 

 

 

 

神殿の幕

 

(マタイ27:51)

「すると,見よ。

神殿の幕が

上から下まで真二つに裂けた。

そして,

地が揺れ動き,岩が裂けた。」

 

 

垂れ幕が破られ,地震がおき,

エルサレムが崩壊することは,

 

神の国の完成のときの出来事を

表しています。

 

キリストの死によって

神と人との隔たりが

取りのけられたことを現しています。

 

 

イエスの死

 

(マタイ27:50-54)

そのとき,

イエスはもう一度大声で叫んで,

息を引き取られた。

すると,見よ。

神殿の幕が上から下まで

真二つに裂けた。

そして,地が揺れ動き,岩が裂けた。

また,墓が開いて,

眠っていた

多くの聖徒たちのからだが生き返った。

そして,

イエスの復活の後に墓から出て来て,

聖都にはいって多くの人に現われた。

百人隊長および彼といっしょに

イエスの見張りをしていた人々は,

地震やいろいろの出来事を見て,

非常な恐れを感じ,

「この方はまことに神の子であった。」

と言った。

 

 

 

 

復活

 

(マタイ28:9,10)

「すると,

イエスが彼女たちに出会って,

『おはよう。』と言われた。

彼女たちは近寄って

御足を抱いてイエスを拝んだ。

すると,イエスは言われた。

『恐れてはいけません。

行って,わたしの兄弟たちに,

ガリラヤに行くように言いなさい。

そこでわたしに会えるのです。』」

 

 

 

 

宣教の命令

 

(マタイ28:19,20)

「それゆえ,あなたがたは行って,

あらゆる国の人々を弟子としなさい。

そして,父,子,聖霊の御名によって

バプテスマを授け,

また,わたしがあなたがたに

命じておいたすべてのことを守るように,

彼らを教えなさい。」

 

 

マタイの福音書の最後の言葉です。

 

三位一体を表わしていると言われます。

 

「三位一体」の言葉自体は,

聖書に出て来ません。

 

父,子,聖霊なる神が

3つのことなる神ではなく,

同じ神の3つのことなる

人格であることを示しています。

 

三位一体は,

神の奥義であり,

人間の知恵では,

十分に理解できません。

 

 

イエス・キリストが復活し,

弟子にあらわれて,

話した言葉です。

 

この後,イエスは天に昇ります。(昇天)