朝の光,夕べの雲

キリスト教,聖書の記事

キリストの死の意味,身代わりの受難 (1ペテロ2:24)

 

(1ペテロ2:24)

「自分から十字架の上で,

私たちの罪をその身に負われました。

それは,私たちが罪を離れ,

義のために生きるためです。

キリストの打ち傷のゆえに,

あなたがたは,

いやされたのです。」


「私たちの罪をその身に負われました」

とは,身代わりの受難です。



身代わりの受難とは,

ある人が他人のために,

代わって受ける受難です。

代わってもらった人は,

苦しむことから逃れます。


イエスは,私たちの罪の身代わりとして

十字架につけられました。


そして,信じる者の罪は赦されました。

 


 


☆彡
 
 
 
イエス,罪を背負う
 

 (1ペテロ2:22-24)


「キリストは罪を犯したことがなく,

その口に何の偽りも

見いだされませんでした。

ののしられても,

ののしり返さず,

苦しめられても,

おどすことをせず,

正しくさばかれる方に

お任せになりました。

そして自分から十字架の上で,

私たちの罪をその身に負われました。

それは,

私たちが罪を離れ,

義のために生きるためです。

キリストの打ち傷のゆえに,

あなたがたは,

いやされたのです。」




イエス・キリストが

「私たちの咎のために砕かれた」

ことは,

旧約聖書のイザヤが預言していました。



(イザヤ53:5,6)


「しかし,彼は,

私たちのそむきの罪のために刺し通され,

私たちの咎のために砕かれた。

彼への懲らしめが

私たちに平安をもたらし,

彼の打ち傷によって,

私たちはいやされた。

私たちはみな,

羊のようにさまよい,

おのおの,

自分かってな道に向かって行った。

しかし,主は,

私たちのすべての咎を彼に負わせた。」

 

 
 
2015-12-21